[歌舞伎]升田屋の家紋「藤巴の中に桔梗」を解説!代表的な主な名跡・役者まとめ


七代目 市川壽美藏さんです。

引用:http://www.kabuki.ne.jp/

升田屋の主な名跡

市川壽美藏(五〜七代目)、市川雷藏(八代目)

 

七代目 市川壽美藏

1902年(明治35年)4月1日 – 1985年(昭和60年)3月7日。東京本郷生まれ。二代目市川團九郎の子、祖父は五代目市川壽美蔵。六代目市川壽美蔵(三代目市川壽海)は叔父にあたります。初舞台は明治45年(1912年)5月東京座の『大和橋』で市川登美三郎を名乗って馬子。大正8年(1919年)二代目市川團次郎を襲名。大正13年(1924年)名題昇進。のち六代目壽美蔵とともに二代目市川左團次主催の自由劇場に参加しました。戦後昭和23年(1948年)関西歌舞伎に移籍。翌年2月大阪歌舞伎座で、六代目壽美蔵が三代目壽海を襲名したのと同時に七代目市川壽美蔵を襲名。以後脇役として活躍します。

昭和28年(1953年)3月梅玉賞受賞。昭和30年(1955年)10月松竹大谷社長賞受賞。昭和53年(1978年)11月大阪市文化功労章。昭和55年(1980年)3月国立劇場『都鳥廓白浪』の軍助で国立劇場優秀賞受賞。同年4月勲五等双光旭日章。昭和57年(1982年)には大阪府から長年の舞台活動を表彰されています。晩年は歌舞伎界の長老として後進の指導にあたりました。

 

八代目 市川 雷蔵

1931年(昭和6年)8月29日 – 1969年(昭和44年)7月17日。出生名は亀崎 章雄(かめざき あきお)。後に本名を竹内 嘉男(たけうち よしお)、さらに太田 吉哉(おおた よしや)に改名した。身長170cm。生後6か月のときに三代目市川九團次の養子となり、15歳のとき市川莚蔵を名乗って歌舞伎役者として初舞台を踏みます。1951年(昭和26年)に三代目市川壽海の養子となり八代目市川雷蔵を襲名。1954年(昭和29年)に映画俳優に転身。1959年(昭和34年)の映画『炎上』での演技が評価され、キネマ旬報主演男優賞受賞、ブルーリボン賞主演男優賞などを受賞。1960年代には勝新太郎とともに大映の二枚看板(カツライス)として活躍しました。ファンから「雷(らい)さま」と親しまれた。1968年(昭和43年)6月に直腸癌を患っていることがわかり、手術を受けるが肝臓に転移、翌年7月17日に死去しました。

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升田屋の家紋について


 

家紋:藤巴の中に桔梗 読み方:ふじどもえの なかに ききょう

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