【引き両紋】足利二つ引・三つ引き両紋などの意味・由来とは?多くの戦国武将が愛用した理由とは?

幾何学的な模様をした家紋に「引き両紋」というものがあります。デザインとしてはシンプルで、特段秀でた特徴はないのですが、多くの戦国武将たちに好まれていた家紋なのです。

今回は、「引き両紋」の由来・意味・種類や、使用していた戦国武将の歴史についてご紹介いたします。

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引き両紋の意味・由来とは?

読み方 ひきりょうもん
家紋の分類 幾何紋
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引き両は「引き」とも呼び、横に惹かれた太い直線を一本から三本描いたものです。

発祥についてははっきりしたことがわかっておらず、「龍の姿を表したもの」や「霊を表したもの」など諸説あります。

太い線の引き両紋は力強さを表現し、武家の間で好まれていました。戦場の場で旗印として使用したのが始まりで、やがて家紋として定着します。

使用地域は、関東地方や東北地方で多く見られています。

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引き両紋の種類いろいろまとめて解説

引き両紋は非常にシンプルなデザインでありながら、様々なバリエーションを持っていました。

その中でもよく用いられていたものをご紹介いたします。

三つ引両

「三つ引き両」は、その名の通り3本の線で構成されています。引き両紋は囲んでいる「丸」と組み合わせられることが多くありました。主に吉川氏によって用いられた家紋です。

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多くの人物が引き両紋を愛用した理由は?

先ほど冒頭でもお話しましたが、シンプルな線は「力強さ」を表現していたため、武士の間から好まれていました。

武士は家紋で威厳を表したり、強さをアピールするツールとしても使用していたため、そのような「強さ」を表した紋が人気だったのです。

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足利家の「足利二つ引き」を使った人物

引き両紋は足利家で「足利二つ引き」という家紋がよく用いられていました。この紋を使用した人物にはどのような者がいるのか、それぞれの歴史と共に見てみましょう。

足利義昭の家紋「足利二つ引き」

足利義昭の生涯と家紋の家紋と生涯|室町幕府第15代で最後の足利家の将軍

15代にわたって幕府の将軍を務めてきた足利家の、最後の将軍となったのが足利義昭です。

足利尊氏の家紋「足利二つ引き」

足利尊氏の家紋「足利二つ引き」と五七桐、五七花桐について

室町幕府を開いた足利尊氏ですが、はじめは高氏という名前でした。 まだ高氏だった頃、天皇に応じて鎌倉幕府を裏切り、倒幕に功をなしたとして、天皇から「尊」の字をもらい高氏から「尊氏」と改名したのです。

今川義元の家紋「足利二つ引き」

今川義元の家紋「二つ引き」について!「桶狭間の戦い」で織田信長に敗れた生涯に迫る

織田信長の名前を一気に有名にした桶狭間の戦い。この戦いで信長に敗北したのが今川義元です。

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引き両紋を使った戦国武将

では、引き両紋を使った戦国武将を見ていきましょう!

7つも家紋を使った織田信長の家紋「丸に二つ引両」

織田信長について 織田信長の7つの家紋を用いた意味・由来を簡単に画像付きで解説!織田木瓜の家紋の読み方は?

織田信長の家紋丸に二引両について

織田信長は7つもの家紋を使っていたと言われ、その中に「丸に二つ引き両紋」が含まれています。信長が使用していた家紋は他にこのようなものがありました。

織田信長の家紋織田木瓜について織田木瓜 織田信長の家紋永楽通宝について永楽通宝 織田信長の家紋五三桐について五三桐 織田信長の家紋無文字について無文字
織田信長の家紋十六葉菊について菊紋 織田信長の家紋揚羽蝶について揚羽蝶    

植物紋や器物紋など様々なものがあります。家紋の詳細や信長の歴史的ストーリーについては、上記の記事で確認してみてくださいね。

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8つの家紋を使った伊達政宗の家紋「三つ引き両紋」

伊達政宗の家紋の由来を画像付きで解説!8つの家紋使い分けた意味とは?

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仙台の戦国武将である伊達政宗は、なんと8つもの家紋を使用していました。「三つ引き両紋」の他には、このような家紋を使用していました。

20130703_7e113a五七桐紋 botan牡丹紋 kuyo九曜紋 takeni竹に雀

吉川元春の家紋「丸に三つ引き両紋」

吉川元春の家紋「丸に三つ引き両紋」とは?吉川晃司のご先祖で子は吉川広家

家紋

吉川広家は、「丸に三つ引き両紋」と呼ばれるこちらの家紋を使用していました。

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吉川広家の家紋「丸に三つ引き両紋」

吉川広家の家紋と生涯|毛利輝元を救った救世主と言われるうつけもの戦国武将

吉川家なので、上記の元春と同じ「丸に三つ引き両紋」を使用していました。どのような人物だったのかは、上記の記事で確認してみましょう。

最上義光の家紋「丸に二つ引き両紋」

最上義光 最上義光の家紋とは?伊達政宗の叔父で豊臣家から徳川家に移った戦国武将に迫る

最上義光と言えば、どうにも「苦労人」という印象がぬぐいきれません。何に苦労したのかというと、ひとつは伊達家との関係です。

丸に二つ引き紋

家紋には「丸に二つ引き両紋」を使用していました。

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細川藤孝の家紋「丸に二引き両紋」

細川藤孝(細川幽斎)の家紋と生涯|息子に細川忠興を持つ和歌の才能にあふれた戦国武将!天皇が命を助けたって本当?

細川藤孝は、あちこちで戦いが行われていた戦国時代であっても、相変わらず茶道や和歌などをたしなみ、ひそかな楽しみにしている武将でした。

丸に二つ引き紋

こちらも「丸に二つ引き両紋」を使用していたそうです。彼の人生はそのままのんびりとしていけたのか、続きは上記の記事で確認してみましょう。

引両紋を使った新選組

新撰組はNHKの大河ドラマにもなった人気のものですが、この中に2名引き両紋を使用していた人物がいます。

近藤勇の家紋「丸に三つ引き両紋」

近藤勇の家紋「丸に三つ引き両紋」と生涯|斬首に散った新選組局長

家紋

新撰組と言えば近藤勇ですね。幕末の京都で不定浪士の取り締まりを行っていた新選組の局長です。家紋には「丸に三つ引き両紋」を使用していました。

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原田左之助の家紋「丸に一つ引き」

家紋 原田左之助の家紋「丸に一つ引き」と生涯|新選組十番隊隊長で「靖兵隊」「彰義隊」に加わった剣客

家紋

原田左之助と言えば、新選組の十番隊組長として有名な隊士です。近藤勇が多摩(今の東京)で道場を開いていたころからの知り合いで、近藤らが「浪士組」の一員となって上京する時も一緒でした。

家紋には「丸に一つ引き両紋」を使用していたようです。

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まとめ

シンプルな線で力強さを表した「引き両紋」についてご紹介しましたが、いかがでしたでしょうか?

引き両紋は様々な戦国武将に用いられ、人気の高い家紋でありました。

それぞれの武将の歴史についても読んでみると面白いので、是非別でご紹介している記事もチェックしてみてくださいね。

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