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[歌舞伎]明石屋の家紋「丸十」を解説!代表的な主な名跡・役者まとめ

   

ph_tomo1明石屋の大谷 友右衛門さんです。

参照:www.akashiya.net/

明石屋とは

明石家は大谷友右衞門などが属する歌舞伎役者の屋号です。

現在は八代目大谷友右衞門、大谷廣太郎、大谷廣松が活躍しています。

 

明石屋の主な名跡

明石屋の主な名跡は大谷友右衞門、大谷廣右衞門、大谷廣太郞、大谷廣松、大谷廣次、大谷文藏です。

 

初代:大谷友右衞門

天保2(1831)年、二代目友右衛門の門人二名が大阪と江戸でそれぞれ大谷友右衛門を襲名しています。

天保10年の暮れに上方の友右衛門が亡くなるまでの8年間にわたり、上方と江戸で大谷友右衛門が並立することになりました。

襲名が少し早かった上方の友右衛門を三代目、江戸の友衛門を四代目としています。大谷友右衛門はいわゆる江戸の大名跡のひとつで七代目は友右衛門襲名後に関西歌舞伎の大名跡・中村雀右衛門家に位牌養子に入って四代目雀右衛門を継いでいます。

これは徴兵で入隊し、第二次世界大戦従軍中に戦死してしまった三代目雀右衛門の長男・中村景章(終戦後「五代目中村芝雀」を追贈)が七代目友右衛門の無二の親友だった関係によります。友右衛門も景章に2年遅れて徴兵となり、過酷な南方の戦地を6年間も転戦しましたが、こちらは幸運にも生きて再び祖国の地を踏むことができました。

 

当代:大谷大谷廣太郞、大谷廣松

そして終戦後復員してきた懐かしい友右衛門の姿を見た景章の母(三代目雀右衛門の未亡人)はそこに何か運命的なものを感じとり、以後は友右衛門を我が子同然に可愛がりました。息子が果たせなかった「雀右衛門」襲名を親友のあなたにしてもらいたいと、再三にわたり懇願しました。そのため大谷友右衛門の明石屋と中村雀右衛門の京家は、姻戚関係はおろか子弟関係の接点すらない、系統のまったく異なる家系で、この継承は故人の無念の想いをその親友に託すという、異色の養子縁組となりました。、大谷廣右衞門(五・六代目)

 

八代目:大谷 友右衛門

四代目中村雀右衛門の長男として東京に生まれました。1959年(昭和34年)2月、歌舞伎座『勧進帳』の太刀持で二代目大谷廣太郎を襲名して初舞台を踏み、1964年(昭和39年)9月、歌舞伎座『ひと夜』で八代目大谷友右衛門を襲名しました。若衆や若女形役などを得意とし、中堅として活躍しています。

 

参考:ウィキ

明石屋の家紋について


家紋名:丸十
読み方:まるじゅう

この家紋は丸十です。「丸十」は一般的には「丸に十の字」紋と呼ばれることが多いです。この「丸十」という家紋は戦国武将の島津家でも使われていた家紋です。十字は世界的な呪符で、中国では蒸餅を食べる前にその上で十字を切るという風習がありました。 それが日本に伝わり鎌倉時代には狩りの収穫に山の神・狩猟神を祭る矢口餅などの折に盛んに行われていました。 『吾妻鏡』にも「十字」と書いて「むしもち」と読む例があり、各地で食物・音物に十字を切ることが 習慣となっていました。ちなみに、忍者が九字を切ったり、民間で 安倍清明判や籠目などが魔除けに用いられるのも十字と同様の呪符です。

 

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