渦巻き模様が特徴的な「巴紋」の中でも多様されたのが「三つ巴紋」です。神社の神紋として用いられることが多く、また有名な歴史上の人物も使用していました。
「三つ巴紋」にはどのような魅力があったのでしょうか?今回は、三つ巴の家紋が神社に多い理由と、三つ巴紋を使用している全国の神社18選をまとめてみました。
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目次
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三つ巴紋の由来!誰が使い始めたの?
巴は古代から世界各国に似たような文様があり、発祥は定かではないものの日本では縄文時代から存在していました。巴は元々弓を弾く際に腕を保護するための武具で、それが後に渦を巻く文様として浸透したと言われています。
巴紋は神社の神紋に多く用いられているため、神社関係者が家紋に使い始めたのが起源と言われています。そこから人気を集め全国的に普及し、江戸時代には約350の家が巴紋を使用するようになりました。
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様々なバリエーションがある三つ巴紋
右三つ巴 | 左三つ巴 | 亀甲に右三つ巴 | むくみ三つ巴菱 |
丸に右二つ巴 | 巴七曜 | 九曜巴 |
巴紋には非常に多くのバリエーションがありますが、いくつかピックアップしてみました。
基本の巴紋は「三つ巴」です。右と左の向きがあり、3つの巴がセットになり描かれています。
また、2つの巴を描いた「丸に右二つ巴」「向い巴」や、多数の巴を描いた「巴七曜」「九曜巴」などもあります。
巴紋は「亀甲に右三つ巴」のように他の家紋と合わせて描かれることも多いのですが、その際も「三つ巴」が頻繁に使用されています。
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左三つと右三つの巴紋の違いとは?
巴は3つの模様がセットになって構成されているものですが、「右三つ巴紋」は時計回りと同じ、右方向に模様が流れているのが特徴です。
それに対し「左三つ巴紋」は、逆の左回りに模様が流れています。両方とも渦を巻いたような模様ですが、向きに違いがあるのです。
三つ巴の家紋が多くの神社で使われている理由
「三つ巴紋」は多くの神社で用いられていますが、それは武運の神として武家から尊崇された「弓矢八幡」の神紋と八幡宮の社紋となっていたことが関係しています。そこから次第に他の神社にも広がっていきました。
また、巴には魔除けや災害除けの意味合いが込められていたことも、多く用いられた理由の一つとなっています。
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三つ巴の家紋を使っている神社18選
それでは、三つ巴紋を使用している全国の神社18選を一気に見てみましょう!
八坂神社の「三つ巴紋」
八坂神社は京都の祇園さんとも言われる有名な観光スポットです。八坂神社は全国にあり、京都の八坂神社は総本社となっています。
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鹿島神宮の「三つ巴紋」
日本建国と武道の神様である「武甕槌大神」を御祭神とした、神武天皇元年創建の由緒ある神社です。
日枝神社の「三つ巴紋」
山王信仰に基づき比叡山麓の日吉大社より勧請を受けた神社の社号です。
石清水八幡宮の「三つ巴紋」
二十二社の1つで、伊勢神宮とともに二所宗廟の1つであり、 宇佐神宮・筥崎宮または鶴岡八幡宮とともに日本三大八幡宮の1つでもあります。
多賀大社の「三つ巴紋」
古くから「お多賀さん」として親しまれ、神仏習合の中世期には「多賀大明神」として信仰を集めていました。
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烏森神社の「三つ巴紋」
東京都新橋にある神社で、烏が多く集まって巣をかけていたため「烏の森」とも呼ばれるようになりました。JR新橋駅の鳥森口はこれに由来しています。
筥崎宮の「三つ巴紋」
大分の宇佐神宮と京都の石清水八幡宮と並ぶ、日本三大八幡宮の一つです。石清水八幡宮でも神紋に三つ巴紋が用いられています。
波上宮の「三つ巴紋」
沖縄県那覇市にあり、那覇港を望む高台の上に位置し「なんみんさん」「ナンミン」として親しまれてきた。
出羽三山神社の「三つ巴紋」
山形県鶴岡市にあり、「出羽三山」とは羽黒山、月山、湯殿山の総称で、山岳信仰の場とされていました。
気比神宮の「三つ巴紋」
越前国一之宮でもあり、北陸道総鎮守ともされ、明治時代には官幣大社となった格式の高い神社です。
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高良大社の「三つ巴紋」
高良の神は、厄除け・延命長寿・福徳円満・交通安全など生活全般を守ってくれる神様として信仰されてきました。
中山神社の「三つ巴紋」
社名は現在「なかやま」と読みますが、かつては「ちゅうざん」や「ちゅうぜん」と呼んでいました。
函館八幡宮の「三つ巴紋」
北海道函館市にあり、旧社格は国幣中社で現在は神社本庁の別表神社です。
駒形神社の「三つ巴紋」
岩手県奥州市水沢に本社のある1,500年の歴史のある神社です。
和多都美神社の「三つ巴紋」
彦火火出見尊と豊玉姫命を祭る海宮で、古くから竜宮伝説が残されています。
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陶山神社の「三つ巴紋」
応仁天皇を主神とし、敷地の中には陶祖 李参平碑もある焼き物の神様です。
日吉八幡神社の「三つ巴紋」
秋田県秋田市八橋本町にある神社で、八橋の山王さん・外町の鎮守として崇敬されてきた。
水守神社の「三つ巴紋」
磐城平藩の命により愛谷江筋を開拓した三森治右衛門を祀る神社です。
三つ巴紋を使った戦国武将・歴史上の人物5人まとめ
次に、「三つ巴紋」を家紋に使用した戦国武将や歴史上の人物をご紹介します。それぞれ別途記事で詳しく解説していますので、気になる人物はチェックしてみましょう。
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結城秀康の家紋「右三つ巴」
結城秀康の家紋と生涯 -徳川家康の息子は父と不仲だった!?-父に徳川家康を持つ結城秀康は、家康に冷たく当たられた人物として知られています。家紋には「右三つ巴紋」を使用していました。
山本勘助の家紋「左三つ巴」
山本勘助の家紋と生涯|武田信玄の家臣で隻眼の戦国武将山本勘助は、武田信玄の家臣として活躍した人物です。その証拠として信玄関連の書籍には必ずと言っていいほど名前が出てきます。
左三つ巴紋 |
州浜紋 |
家紋には「左三つ巴紋」のほか、浜辺にできる島型の州を表現した「州浜紋」を使用していました。
小早川隆景の家紋「左三つ巴」
小早川隆景の家紋「左三つ巴」について|毛利元就の三男だった戦国武将小早川隆景は、毛利元就の三男としてよく知られている人物です。また、豊臣秀吉の養子だった秀秋を養子にし、小早川秀秋を名乗らせています。
家紋には「左三つ巴」を使用していました。
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清水宗治の家紋「右三つ巴紋」
清水宗治の家紋「右三つ巴紋」と「切腹は武士の名誉」を定着させた彼の人生について「武士の切腹は誉である」と言われ、実際に多くの武将たちが切腹でなくなっていますが、それを定着させたと言われているのが清水宗治です。
右三つ巴紋 |
三つ盛り三つ巴紋 |
肖像画に「三つ盛り三つ巴紋」が描かれていることから、家紋には2種類の巴紋を使用していたとされています。
土方歳三の家紋「左三つ巴」
新選組副長・土方歳三の家紋【左三つ巴】と生涯を解説新撰組と言えば土方歳三ですね。日本中に土方ファンが多く、現在も彼の足跡を求めて旅行をする人がいるほどです。家紋には「左三つ巴紋」を使用していたようです。
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まとめ
「三つ巴紋」を使用した神社・人物などについてご紹介しましたが、いかがでしたでしょうか?
渦巻き模様の巴紋には、様々なバリエーションと様々な使用者がいる家紋の中でも規模の大きなものです。みなさんの身の回りにも巴紋が用いられているところがあるかもしれませんので、是非見つけてみてくださいね。
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