天皇家は武田菱も使っていた!?一般参賀で天皇陛下の後ろに菱紋発見!天皇家の家紋とは?

平成天皇の一般参賀には多くの人々が集まりましたが、その際に撮影された写真の背景に「菱紋」があったのです。天皇家の紋は菱ではないので、なぜここで菱が登場したのでしょうか?

今回は、天皇陛下の一般参賀で用いられた菱紋のワケと、武田家の家紋である「武田菱」についてご紹介いたします。

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一般参賀で天皇陛下の後ろに菱紋発見!

こちらは、平成天皇の一般参賀の際に撮影された写真です。背景に注目してみると、4つの菱が1つになった「菱紋」が描かれているではありませんか!

菱紋は天皇の家紋ではないので、なぜここで菱が描かれていたのでしょうか?4つの菱を組み合わせた紋と言えば、武田信玄をはじめとする武田家が家紋に使用していた「武田菱」なのです。

この謎を解くべく、まずは天皇家が使用していた家紋から見ていきたいと思います。

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天皇家が使った3つの家紋

天皇家の家紋は菱紋ではなく、3つの家紋を使用していました。「日月紋」「菊紋」「桐紋」がそれぞれどのような紋であったのか見てみましょう。

日月紋

1つめは「日月(じつげつ)紋」です。「日」は天照大神、「月」は月読尊を表現しているとも言われています。

日月紋は現在でも使用されているもので、古くから即位の大典などで使用されていました。この日月紋の後に、次に紹介する菊紋がより天皇の紋として印象深いものになります。

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菊紋(十六葉菊)

菊花紋章

2つめは「菊紋」です。皇室を表す代表的な家紋でもありますが、日月紋よりも後に登場したのが菊紋です。

菊紋の起源は、鎌倉時代初期に後鳥羽上皇が好んで使用していたことです。菊は延命長寿の効果があるとして、薬に用いられていたこともありました。

後鳥羽上皇は衣服や調度品などに文様として菊を刻み、自作の刀に菊の銘を付けて武士たちに贈ったこともわかっています。

上記の「十六葉菊」が皇室の紋として認知されるようになったのは1869年です。太政官布告によって明治時代に天皇の紋章として定められ、その他の者の使用が禁じられました。

桐紋

家紋

3つめは「桐紋」です。桐紋の歴史は古く、天皇が身につけるようになったのは平安時代の初期と言われています。

嵯峨天皇の時代で、儀式に用いる衣服に桐の文様を入れたことが始まりです。

天皇家の紋であった桐紋は、権力者にも下賜されていました。有名な人物では豊臣秀吉や足利将軍がその例で、賜った桐紋を一族や家臣にも与えたことで桐紋が広まっていきました。

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武田家の武田菱の意味や由来を解説

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こちらが武田信玄をはじめとする武田家に使用されていた「武田菱」です。武田家がとても大切にしているもので、商標登録もされており、使用には許可が必要なのです。

一般的な「菱紋」は菱を一つだけ描いたものですが、武田菱では四つの菱を使ったオリジナルの家紋を用いていました。

もともと「菱」とは古代から世界中で見られた文様で、植物であるヒシの実に由来していると言われていますが詳細は不明です。土器にも鱗と同様刻まれていることから、呪術的な意味もあったと考えられています。

武田菱以外にも菱紋にはあらゆるバリエーションが存在し、江戸時代には幕臣約150の家紋に用いられたと言われています。 

武田信玄や武田菱紋にまつわる詳しい情報は、上記の記事内でチェックしてみましょう。

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なぜ天皇陛下の一般参賀に信玄の家紋が使われている謎を解説

天皇陛下の一般参賀時に見えた背景の「菱」ですが、実は信玄が家紋に用いていた「武田菱」とはまた別の菱なのです。天皇の家紋として一番用いられているものは先ほどご紹介した「菊紋」なのですが、参賀の際には使用していませんでした。

菱紋は左右対称でシンプルながらスマートで美しいため、古くから日本では調度品や衣服などの文様として使用されてきました。平安時代には御簾の縁などに文様として描かれ、天皇家や宮家などが愛好していたのです。その名残や、文様として美しいことから天皇参賀の際に「菱」が使用されていたようです。

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まとめ

天皇陛下と武田家に使用された「武田菱紋」の関係についてご紹介しましたが、いかがでしたでしょうか?

デザインは全く同じものの、天皇家の菱と武田家の菱に直接的な関わりはないことがわかりました。このように昔だけでなく、現代でも家紋を見つける機会は意外とありますので、普段の生活の中で隠れた紋を探してみてくださいね。

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