【忍者家紋】甲賀忍者の家紋「九曜星」を解説!多くの戦国武将が使った家紋

みなさんは「忍者」がどういったことをしていたかご存知でしょうか?アニメにもなっている忍者は、高い戦術をフル活用してで活動していました。

特にエリートとされていた忍者に「甲賀忍者」があります。そして忍者も家紋を使用していたのです。

今回は、忍者の活動など基本情報に加え、忍者が使用していた家紋、そして同じ家紋を使用していた戦国武将たちをご紹介いたします。

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忍者とは?

忍者という言葉は知っていますが、具体的にどのような活動をしていたかご存知ですか?忍者は日々どんなことをしていたのか、忍者の基本的なことから確認してみましょう。

忍者はスパイのようなもの

忍者とは、室町時代から江戸時代にかけて大名や領主に使え「裏の仕事」をしていた者を指します。裏の活動とは、重い者では暗殺、破壊活動、浸透戦術、謀術などでスパイのようなものです。

「忍者ハットリくん」というアニメがありますが、実際の忍者に「服部」という名前が多く存在したことから、この名前が使用されています。忍者というとひっそりとして姿を現さないイメージがありますが、実際のところはその土地の人と仲良くなり、情報を聞き出すといったこともしていたようです。

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望月氏をはじめとする甲賀武士団が忍者となった

望月氏を初めとする「甲賀武士団」は、1478年に起きた鈎の陣によって有名となります。

佐々木六角氏を目がけて将軍足利義尚自ら大軍を率いて近江に来攻した際、甲賀武士団は佐々木六角氏を助けたのですが、その時に見せた戦闘能力がすこぶる高いと評価され、「甲賀忍者」と呼ばれる正式な忍者になったのです。

ちなみに、戦国大名の中では徳川家康が一番忍者を活用していたと言われています。

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甲賀忍者の家紋「九曜星」を解説

こちらが甲賀忍者が使用していた家紋「九曜星紋」です。九曜とは空の星を指し、「◯◯曜」と丸の数を入れた名前が付く紋です。

星は、運命を司るものとして信仰されてきました。決まった軌道で移動するため、狩猟や航海の際には位置がわかるものとして、農業では季節がわかるものとして古くから人々に活用されてきました。

星は文様として扱われるようになり、やがて家紋にも用いられるようになります。また、「三つ星=勝ち星」を表し、戦いに挑む武家の間でも人気の紋となっていました。

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九曜星紋は戦国武将にも愛された

九曜紋の星は「勝ち星」の意味合いも込められていたため、戦いに挑む戦国武将たちの間にも好まれていました。みなさんもご存知のあの有名な武将も使用していたんです。

では、九曜紋を使用していた武将たちとその歴史について見てみましょう!それぞれの歴史的なストーリーは別途記事でまとめていますので、気になった武将がいればチェックしてみてくださいね。

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伊達政宗の家紋「九曜」

伊達政宗の家紋の由来を画像付きで解説!8つの家紋使い分けた意味とは?

仙台の戦国武将である伊達政宗は、なんと8つもの家紋を使用していました。その中に「九曜紋」があります。その他の7つは星紋ではなく、全く異なるテイストのものを使用していました。

残りの紋についても上記の記事内でご紹介していますので、確認してみましょう。

細川忠興の家紋「九曜紋」

細川忠興の家紋の由来を解説!明智光秀の娘・ガラシャとの結婚で有名な戦国武将

今の時代から見ると武将たちは「変わり者」がとても多いのですが、その中でさらに突拍子もないことをやっているのが細川忠興です。家紋は政宗と同じ九曜紋を使用していたのですが、どのような変わり者だったのでしょうか?

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石田三成の家紋「九曜紋」

石田三成の家紋の由来を画像付きで解説!大一大万大吉は旗印、九曜紋、下り藤が家紋

豊臣秀吉に忠臣を誓い、関が原で大敗した戦国武将というイメージの強い石田三成も、「九曜紋」を使用していました。どの武将も九曜紋を好んでいたのですね。

ちなみに三成は戦いの際に用いた旗に「大一大万大吉」という旗印を刻んでいます。家紋とよく間違えられるのですが、この文字は旗印で、家紋には九曜紋を使用していました。

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まとめ

謎多き職業の「忍者」情報についてご紹介しましたが、いかがでしたでしょうか?忍者と聞いても詳しい活動内容までご存知なかった方も多かったのではないかと思います。

時には暗殺まで起こし、高い戦術で影から幕府を支える重要な役割を担っていました。時代と共に忍者はいなくなってしまったわけですが、このミステリアスな職業に興味を持って現在でも国内外に忍者ファンがいるのは納得ですね。

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