柴田勝家の最期の場所となった北ノ庄城。織田家を長年支えていた柴田勝家は自らの最期を信長に与えられたこのしろで迎えることになりました。
秀吉に敗れた柴田勝家最期の戦いとなった『北ノ庄城の戦い』を家紋と共に見ていきます。
●1分で分かる北ノ庄城の戦い
『賤ヶ岳の戦い』で秀吉に敗れた柴田勝家は自分の城のひとつであった北ノ庄城に逃げ込みます。
体制を整えて、再度秀吉に向けて打って出るつもりの勝家でしたが、『賤ヶ岳の戦い』で勝家側に付いていた前田利家が秀吉側に寝返ってしまいます。
秀吉側の先鋒隊となった前田利家軍と共に『賤ヶ岳の戦い』の3日後には勝家がいる北ノ庄城を取り囲みます。
勝家は為す術もなく、秀吉に敗北を悟り最後は自害の道を選びました。
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目次
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賤ケ岳から逃げ戻った柴田勝家
『賤ヶ岳の戦い』で秀吉軍に攻め込み、一時は有利な立場になった柴田勝家でしたが、52キロ(13里)もの距離を5時間で折り返した秀吉の戦術(美濃の大返し)や前田利家の戦線からの謎の離脱などが重なり柴田軍は敗走を余儀なくされてしまいました。
『賤ヶ岳の戦い』に敗れた勝家は幾ばくかの兵を引き連れて、自らの居城であった北ノ庄城(越前・現在の福井市)に逃げ戻ります。
戦いに敗れた柴田勝家は体勢を立て直して、秀吉軍に再度向かっていくつもりでした。
前田利家は柴田軍→秀吉軍へ
『賤ヶ岳の戦い』で柴田軍として参戦しながらも、戦闘には参加せずに戦線から離脱した前田利家は自らの居城である金沢城に戻っていました。そして、前田利家は柴田軍から秀吉軍へと寝返ります。理由は諸説ありますが、前田利家と秀吉は信長に仕えていた時から仲が良いことで知られており、家族ぐるみでの付き合いもあったそうです。
そのため、『賤ヶ岳の戦い』では柴田軍として出陣した前田利家でしたが、その時点ではすでに秀吉と取り決めがされており、参戦しなかったという説が有力とされています。
柴田勝家が敗走し、秀吉側に付くことを決心した前田利家は秀吉軍の先鋒隊として柴田勝家のいる北ノ庄城へ向かうのでした。
北ノ庄城の戦いへ
前田利家を味方につけた秀吉は数万にも及ぶ軍で北ノ庄城を目指します。
そして、『賤ヶ岳の戦い』からわずか3日後、秀吉軍は柴田勝家がいる北ノ庄城を取り囲むのでした。
秀吉軍(武将)
羽柴秀吉・・・桐紋という家紋を用いており、「五三桐」、「五七桐」などが有名。もともとは天皇家に使われていた家紋であったが、武家社会に広がっていき秀吉が利用しました。
そして、今日では日本政府が使用している紋章でもあります。
前田利家・・・梅をモチーフにした「加賀梅鉢」と呼ばれる家紋を使用。元来は平安時代の菅原道真が使用していたとされ、菅原氏の一族で武家の名門である美作菅氏が使用していました。前田利家はその美作菅氏の末裔だと自称していたため、「加賀梅鉢」を使用していたと言われています。
柴田軍(武将)
柴田勝家・・・「二つ雁金紋」と呼ばれる家紋を使用しており、上下に二羽並んだ雁金の形となっています。「二つ雁金紋」は多くの武将で用いられた家紋とされていますが、柴田勝家の家紋は上の雁金が口を開いているのが特徴的な家紋となっています。
攻める秀吉に覚悟を決める勝家
北ノ庄城を取り囲んだ秀吉軍は一時待機します。
その光景を見た柴田勝家は北ノ庄城の本丸にて宴を開いたと言われています。この時、すでに勝家は自らの最期を悟っていたのかもしれません。
翌日、秀吉軍は北ノ庄城に総攻撃を仕掛けます。
北ノ庄城の本丸には200の兵がいたとされていますが、多勢の秀吉軍の前には無力でした。
そして、勝家は自らの最期の前に覚悟を決めてある行動に出ます。
妻と娘を逃がそうとした勝家
柴田勝家は「茶々」「初」「江(お江与)」の3人の娘、そして妻である「お市の方」を秀吉側に書状を送り、庇護を求めました。そして、3人の娘は城外に出ていき秀吉の庇護を受けました。
3人の娘を逃がし自身は勝家とともに命を絶ったお市の方
3人の娘と共に庇護を求められていた「お市の方」でしたが、自らの庇護は頑なに拒否したとされています。「お市の方」は夫である柴田勝家と共に最期を迎えることを望んだのでした。
秀吉軍の攻撃により、ついに北ノ庄城の天守閣に火が放たれ業火になったと言われています。
そして、柴田勝家は天守閣に登り自害。62年の人生に幕を閉じました。
「お市の方」も勝家の隣で自害したとされています。
『賤ヶ岳の戦い』から続く、秀吉と柴田勝家の戦いはこうして決着を迎えたのでした。
まとめ
いかがでしたか?
最後まで自分の家族を守ろうとしていた柴田勝家はどんな気持ちだったのでしょうか?そんなことを考えるのも良いかもしれません。
勝利した秀吉はこの戦いの後、織田家に仕えていた多くの家臣が臣従するようになっていきます。
そして、史上初の天下人になるのでした。まさしく、秀吉の運命を決めた戦と言っても過言ではないかもしれません。
以上が、柴田勝家の最期の戦いである『北ノ庄城の戦い』でした。
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