[歌舞伎]立花屋の家紋「三升の中に八の字」を解説!代表的な主な名跡・役者まとめ


市川 中車 (八代目)さんです。

引用:http://www.kabuki.ne.jp/

立花屋について

市川宗家の門人系の市川八百蔵家では、初代のあとその妹婿が二代目を襲名、そのあとには二代目澤村宗十郎の長男を迎えて三代目としていましたが、血が繋がらないので屋号は各代ごとに「蓬萊屋」「吉村屋」「橘屋」と好きなものを使っていました。

また、そもそも三代目の実家の屋号は「紀伊國屋」だったのにも関わらず、はじめて立役として舞台に立ち成功を収めたのが江戸市村座だったことから、三代目はその座元・市村羽左衛門やその一門との交流が深かったため、通常は羽左衛門の一族以外には許されない「橘屋」使うことが認められていた特例でした。

この三代目のあとがまた養子で、舞踊の藤間勘十郎家から子が入って四代目を襲名しました。その際、またしても屋号を替えるのは表向きにも内輪向きにもいかにも不便だったので、当初はそのまま「橘屋」を使っていた。しかし「荒事の家元」として特別な権威がある市川團十郎を中心とした市川一門のなかで、その番頭格にまでなっていた市川八百蔵の屋号が、別系統の市村羽左衛門一門の屋号と同じというのも、またいかにも見た目が悪かったため、覚えやすい「たちばなや」の音はそのまま残し、表記を羽左衛門一門に遠慮して「橘」から「立花」と改めたのがその名称の由来。

 

立花屋の主な名跡

市川八百蔵(四代目以降~)、市川中車(初代~八代目)

市川八百蔵

・四代目 市川八百蔵
舞踊藤間流の初代藤間勘十郎の弟、1772–1844。
岩井かるも → 岩井喜世太郎 → 四代目市川八百蔵 → 初代市川伊達十郎 → 四代目市川八百蔵

・五代目 市川八百蔵
舞踊藤間流の三代目藤間勘兵衛の子、1805–70。
市川團吉 → 二代目市川伊達十郎 → 五代目市川八百蔵 → 三代目關三十郎

・六代目 市川八百蔵
五代目の養子、1838–89。
初代關花助 → 六代目市川八百蔵 → 四代目關三十郎

・七代目 市川八百蔵
京の両替商の子、1860–1936。二代目尾上多見蔵の門人。
尾上常次郎 → 中山鶴五郎 → 七代目市川八百蔵 → 七代目市川中車

・八代目 市川八百蔵
七代目の養子、1896–1971。実父は初代市川猿之助。
市川松尾 → 八代目市川八百蔵 → 八代目市川中車

・九代目 市川八百蔵
七代目松本幸四郎の門人、1906–87。
松本高麗五郎 → 九代目市川八百蔵

 

市川中車

・初代 市川中車
道外方の松島茂平の子、1730–59。二代目市川團十郎の門人。
松島吉三郎 → 松島八百蔵 → 初代市川八百蔵(俳名:初代中車)

・二代目 市川中車
初代の妹婿、1735–77。
中村傳蔵 → 二代目市川八百蔵(俳名:二代目中車)

・三代目 市川中車
二代目澤村宗十郎の長男、1747–1819。
澤村金平 → 初代澤村四郎五郎 → 瀬川雄次郎 → 初代澤村四郎五郎 → 三代目市川八百蔵(俳名:三代目中車) → 二代目助高屋高助 → 助高屋四郎五郎 → 二代目助高屋高助

・四代目 市川中車
舞踊藤間流の初代藤間勘十郎の弟、1772–1844。
岩井かるも → 岩井喜世太郎 → 四代目市川八百蔵 → 初代市川伊達十郎 → 四代目市川八百蔵(俳名:四代目中車)

・五代目 市川中車
舞踊藤間流の三代目藤間勘兵衛の子、1805–70。
市川團吉 → 二代目市川伊達十郎 → 五代目市川八百蔵(俳名:五代目中車) → 三代目關三十郎

・六代目 市川中車
五代目の養子、1838–89。
關花助 → 六代目市川八百蔵(俳名:六代目中車) → 四代目關三十郎

・七代目 市川中車
京の両替商の子、1860–1936。1918年襲名。二代目尾上多見蔵の門人。
尾上常次郎 → 中山鶴五郎 → 七代目市川八百蔵 → 七代目市川中車

・八代目 市川中車
七代目の養子、1896–1971。1953年襲名。実父は初代市川猿之助。
初代市川松尾 → 八代目市川八百蔵 → 八代目市川中車

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立花屋の家紋について


 

家紋:三升の中に八の字 読み方:みますのなかに はちのじ

升(枡)は増・益の字に掛けて、縁起の良い印とされています。

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