【江戸幕府300藩】泉藩の家紋は「丸に右離れ立ち葵」江戸時代に大出世!

泉藩とは?

江戸時代に陸奥国菊多群泉地方(福島県いわき市泉)に存在した藩です。期間は1634年から1871年です。

泉陣屋が藩庁でしたが1871年(明治4年)に建物は取り壊されて、現在わずかに痕跡を残し、公園となっています。陣屋裏門→泉町の民家に移築されています

そんな泉藩の歴史をみていきましょう。

スポンサードリンク

泉藩の基礎情報

石高 2万石
旧国 陸奥(福島県)
居城 泉陣屋(いわき市)
藩主 内藤家
家紋名 丸に右離れ立ち葵
江戸城控間 帝鑑間
城主格
爵位 子爵
藩主の変移

初代 内藤忠興

最後の藩主 本田忠伸

泉藩陣屋の歴史

泉藩陣屋は福島県いわき市泉にあたる場所にあった陣屋です。

1622年に 鳥居忠政は磐城平藩→出羽山形藩へ。平城に内藤政長が7万石で入封します。この時政長の嫡男内藤忠興は2万石をもっていました政長が死去→内藤家を継ぎ、末子の政晴に2万石を渡し、泉藩が立藩されました。

pastedGraphic.png

引用:http://edononagori.fan.coocan.jp/izumihan275.html

スポンサードリンク

1646年領内改革スタート

政晴の子内藤政親が泉藩主になり、領内がよくなるようにと整備を行う領内改革を進めます。

内藤家→上州安中へ転封 板倉家→入封 1746年本多忠如→1万5千石で城主になります →後に本多忠籌が継ぎ藩政改革→財政再建成功 この成功がお偉いさん(松平正信)が注目→幕府の要職につきます。

御側御用人に取り立てられ、次に老中格へとなり功績により 泉藩石高5千石→2万石にと大活躍ですね。廃藩置県まで本多家が代々藩主をしました。

本多家は徳川四天王のひとり・忠勝の血脈を継ぐ家系

泉藩6代藩の本多忠紀が1861年(慶応4年)戊辰戦争に加わり新政府軍と戦いますが最終的に降伏謝罪をします。新政府と比べると数に差がありまして苦戦したんですね。

人数が多いほうが有利なので、その点負けていたのでした。

後に新政府軍に抵抗→強制隠居処分になると、その後本多忠伸が第7代の藩主になります。これが本多家の最後となりました。

明治4年に廃藩置県により、藩知事を免職されます。陣屋は新政府軍に焼かれました。その後懲罰もあり散々な目に。。。

スポンサードリンク

泉藩の家紋は「丸に右離れ立ち葵」

泉藩の家紋は「丸に右離れ立ち葵」です。

「右離れ立ち葵」は本多家の家紋として有名で姫路城にも紛れている縁起の良い葵紋のひとつです。別名「本多立ち葵」といい、この家紋は姫路城の鬼瓦でもみることができます。

他にも近いものでは丸に立ち葵という家紋があり少し違うのですが、双子のように似ています。そんな丸に立ち葵の家紋は選組で知られている山南敬助が使用していたとされています。

葵は梅雨から夏にかけ様々な色になるということで見ごたえがあり、女の子(男も中にはいる)の名前としても葵はよくつかわれ、人気があります。

葵の花言葉をみていきましょう。待望、野心、豊かな実り、気高く威厳に満ちた美、高貴、神聖、温和、優しさなど綺麗な花言葉で名前になるにも納得できます。

壮大な野心などもあったため泉藩も成長したのだと感じました。葵は葉が太陽に向い育ち花が咲くのですね。

この家紋にはやさしさ暖かがみえてきます。

スポンサードリンク

【江戸幕府の全300藩】他の藩の家紋も一緒にチェックしよう