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中臣鎌足から始まった藤原氏
天智8年臨終の床にあった中臣鎌足が天智天皇より、大化の改新の功績によって「藤原」の氏をさずけられる。これにより、中臣鎌足から藤原鎌足となり藤原氏の歴史が始まる。ちなみに藤原という名称は鎌足の生地から名づけられたとされています。藤原鎌足以降、藤原氏は目覚ましい発展を見せ、最も活躍した時代はその他の源氏、平氏、橘氏を含めて「源平藤橘」と呼ばれている。藤原氏では藤原鎌足以降、奈良時代に北家、南家、式家、京家の4つの系統に分裂した。その中でも最も発展をした系統が藤原北家である。
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公家の大多数が藤原家となり混乱!?
平安時代の中頃より政権のトップに立ち、長期間その椅子を維持し続けていた藤原北家。一時は朝廷に使える公家の過半数が藤原北家が占めることになる。そうなると、朝廷内では藤原家だらけ。相互に区別する呼称が必要になったことから、それぞれの住んでいる場所にちなんで呼ぶようになった。
のちに説明する鷹司家は鷹司に家があったから、一条家は一条に家があったからなどの呼び方が名家となりました。
現在では名字に〇藤という方が非常に多いですよね。加藤、伊藤、佐藤、尾藤、後藤など少し上げるだけでも5個は出てきます。この名字の大半は藤原氏が由来となっている場合が多く、○○地域に住む藤原さんと言った意味が多いようです。
藤原北家の嫡流!五摂家の家系図でチェック
藤原北家の嫡流は鎌倉時代に入り、最初に①近衛家と②九条家に分かれる。さらには近衛家から③鷹司家が誕生し、九条家から④二条家と⑤一条家に分かれる。この5つの家を五摂家と呼びます。わかりにくいのでここは家系図を見る方が早いかも知れません。引用:http://jodo.or.jp/fukyoshikai/
五摂家の誕生ルーツ
近衛家 → 鷹司家
九条家 → 二条家
→ 一条家
五摂家の祖とその活躍
①近衛家の祖 | 藤原基実 | 六条天皇の摂政となるが夭折する。 |
②九条家の祖 | 藤原兼実 | 平氏滅亡後、頼朝の後押しで摂政、関白になる |
③鷹司家の祖 | 藤原兼平 | 近衛家を継ぎ、摂政と関白になる。 |
④二条家の祖 | 藤原良実 | 父である兼平に愛されなかった人物 |
⑤一条家の祖 | 藤原実経 | 父である兼平に寵愛され摂政、関白に。 |
藤原氏の家紋は藤紋じゃない!?
家紋の中でも重要な紋の一つに植物紋があります。その中でも大きな存在感を放つのが「藤紋」です。藤紋には上がり藤、下がり藤など数多くのバリエーションがありますが、藤原家=藤紋という印象を持っている方も非常に多いはず。ただ実はちょっと違っています。藤紋を使うのは7家のみ
雲上明覧という公家の名鑑によれば藤原氏を源流に持つ97家のうち、藤紋を使う藤原家は7家にすぎないようなのです。これはかなり驚きの事実です。
北家藤原家の嫡流家も家紋は藤紋ではなく、牡丹紋とされています。それでは五摂家が使用した家紋をそれぞれ紹介していきます。
近衛牡丹:藤原氏の家紋その1
近衛家が使用した家紋で近衛牡丹(このえぼたん)と呼びます。藤原基実の邸宅が近衛大路に面していたことによりその名がついた。五摂家のルートになります。鷹司牡丹:藤原氏の家紋その2
鷹司家が使用した家紋で鷹司牡丹(たかつかさぼたん)と呼びます。五摂家では一番最後に成立し、江戸時代末期では摂政、関白を務めた。
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一条下がり藤:藤原氏の家紋その3
一条家が使用した家紋で一条下がり藤と呼びます。
二条下がり藤:藤原氏の家紋その4
一条家が使用した家紋で一条下がり藤と呼びます。
九条藤:藤原氏の家紋その5
一条家が使用した家紋で一条下がり藤と呼びます。
まとめ
現在では藤原氏=藤紋という印象もありますが、実は藤紋を使用してるのが藤原氏を源流に持つ97家のうち、藤紋を使う藤原家は7家にすぎないというのは驚きですね。現在の佐藤さん、伊藤さん、加藤さんと言った名字に藤が付く人のほとんどが藤紋を使っているので是非お知り合いに聞いてみてください。