【江戸幕府300藩】出羽松山藩の家紋は「片喰」庄内藩から分かれて立藩

出羽松山藩とは?

出羽松山藩があったのは、現在の山形県酒田市です。酒田市はフェーン現象の影響で夏場には高温になりやすい土地で、1978年には40.1度を記録したこともあります。江戸時代、出羽松山藩の人々も毎年の夏の暑さに耐えて暮らしていたのかもしれません。

藩庁は松山城に置かれていました。すでに城自体は取り壊されてしまってありませんが、江戸時代に建てられたという大手門は今も残っています。かがり火の中でこの大手門を背に行われる松山能は、この地で300年もの間大切に守られてきた文化です。

「松山城薪能」の写真
松山城薪能

引用:やまがた観光情報センターhttp://data.yamagatakanko.com/photogallery/kanko_imglist/03spa.html 

かつてこの地にあったとされる出羽松山藩について、もっと詳しいことを見ていきましょう。

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出羽松山藩の基本情報

石高 2万石
旧国 出羽(山形県)
居城 松山城(酒田市)
藩主 酒井家
家紋名 片喰
江戸城控間 帝鑑間
城主
爵位 子爵
藩主の変移

初代 酒井忠恒

最後の藩主 酒井忠匡

庄内藩から分かれて立藩した出羽松山藩

1647年(正保)に庄内藩から新田のほか2万石を分け与えられ、新たに立藩したのが出羽松山藩です。初代藩主の酒井忠恒は、庄内藩初代藩主の酒井忠勝の3男にあたります。

ちなみに酒井忠勝は徳川四天王の一人、酒井忠次の孫です。つまり出羽松山藩初代藩主の酒井忠恒は、酒井忠次のひ孫なのです。

本家である庄内藩との結びつきは強く、2代藩主の酒井忠予の次男・忠寄は本家へ養子入りし庄内藩の5代藩主となっています。これは本家に跡継ぎがいなくなってしまったことが原因でした。

江戸幕府に重用されたが、一方で財政悪化も

2代藩主の跡を継ぐのは長男・忠英のはずでしたが、その後視力を失い家督相続の権利をなくします。そのため親戚筋から養子として迎えたのが、3代藩主になる酒井忠休でした。

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忠休は江戸幕府の若年寄になるも、藩の財政は悪化

忠休は江戸幕府の重要な役職である若年寄を勤めました。これにより5000石が加増され、出羽松山藩の石高は2万5000石となります。

また城を持つことを許されたため、1781年(天明元年)から7年の歳月をかけて松山城を築城しました。それ以降、松山城に藩庁を置くことになります。

このように忠休は幕府に重用されたのですが、反面、それが原因で藩の財政は悪化していってしまいます。石高は加増されたものの経費もかさんでしまうため、どんどんと赤字になっていってしまったのです。

さらに飢饉によって大きな被害も

忠休の跡を継いだ藩主たちもいろいろな政策をとって財政を立て直そうとしましたが、なかなか成果は出ませんでした。

1833年(天保4年)からは三大飢饉のひとつとされる天保の大飢饉も起き、大変な被害を出してしまいます。このとき6 代藩主の酒井忠方は、やむなく本家の庄内藩から借金をしました。

また財政の悪化から、庄内藩の管理下に入った時期もあるようです。

戊辰戦争では庄内藩に従い新政府軍と激突

幕末に起きた戊辰戦争では、本家の庄内藩と新政府軍は死闘を繰り広げました。出羽松山藩も庄内藩に従い、奥羽越列藩同盟に参加して新政府軍と戦っています。

結果は敗戦に終わり、石高は2万5000石から2万2500石に減らされました。またこのときの藩主の忠良は隠居を命じられ、3男の忠匡に家督を譲ります。こうして酒井忠匡は出羽松山藩の最後の藩主となりました。

1871年(明治4年)の廃藩置県により出羽松山藩は松嶺藩となり、その後は山形県に編入されています。

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出羽松山藩の家紋「片喰」を解説

カタバミは繁殖力が強く、一度根付いてしまうとどんどん増えて絶やすことの難しい植物です。そんなカタバミの性質から武家の間では、「家が絶えない」「家運隆盛・子孫繁栄」にも通じるとして家紋に使われてきました。

片喰を家紋とする戦国大名は他にも多くあり、長宗我部家の家紋もカタバミをモチーフにした「七つ酢漿草(カタバミ)」です。

酒井家がこの「片喰」を家紋にしたのには面白いエピソードがあります。実はもともと酒井家の家紋は「葵」だったと言うのです。

あるとき松平長親(徳川家康の高祖父)は酒井家の「葵」の紋を見て、これが気に入ります。すると「その紋を譲ってくれ。永く我が家の家紋として子孫にも伝えるから。代わりにこれを新しい紋にするといい」そう言うと、葵によく似たカタバミを与えたそうです。

この話は『三河後風土記』の書かれているものです。遠い昔、本当にこのようなやり取りがあったのでしょうか?気になりますね。

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