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七戸藩とは?
七戸といえば八甲田山の東側に位置している青森県上北群の町です。馬の神様としても知られている花松神社もあります。
七戸藩とはいわゆる藩内分家であります。本家である盛岡藩を支えるための混じりけのない支藩です。
歴代藩主は4代おり活躍しています。
そんな七戸が江戸時代にはどういう藩だったのか見ていきましょう。
七戸藩の基礎情報
石高 | 1万1000石 |
旧国 | 陸奥(青森県) |
居城 | 七戸城(七戸市) |
藩主 | 南部家 |
家紋名 | 南部鶴 |
江戸城控間 | 柳間 |
格 | 城主格 |
爵位 | 子爵 |
藩主の変移 |
初代 南部信鄰 最後の藩主 南部信方 |
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七戸藩の始まり
盛岡藩の4代目である南部行信が元禄7年(1694年)に弟である南部政信に5000石をあたえたのが七戸藩の始まりといわれています。
5000石を頂いた南部政信でしたが領地をもちませんでした。
戊辰戦争後に藩庁が設置される
文政2年(1819年)に盛岡藩から七戸領6000石を追加されます。南部信鄰の代に晴れて大名に加わります。
しかし、七戸藩の歴代藩主はすべて江戸屋敷に定住していたため、藩庁が設置されるのは戊辰戦争後になりました。
ちなみに明治4年(1871年)に廃藩置県により七戸藩は廃藩となります。そして七戸県を経て弘前県から青森県に至ります。
史跡七戸城跡
引用:https://www.aptinet.jp/
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七戸藩の家紋「南部鶴」を解説
七戸藩の家紋は「南部鶴」です。「対い鶴に九曜」が記された家紋ですが二つの説があります。
一つ目は将軍源頼朝に従って狩りに出かけたところ、陣所付近の池に飛んできた二羽の鶴を殺さずに射ち落とし、将軍の頼朝に賞賛されたことを記念して二羽の鶴を紋にしたという説です。
二つ目は秋田安東氏と合戦中に、夜明けの空に二羽の鶴が飛んできて九曜の星が空から降ってきたという夢を見て、勝利をおさめることができたそうです。
これを記念して胸に九曜の星をつけた二羽の鶴を紋に記したとされています。
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