五代目 中村 富十郎さんです。
引用:www.sponichi.co.jp
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天王寺屋の主な名跡
中村富十郎、中村鷹之資、中村亀鶴(初代のみ)五代目 中村富十郎
1929年(昭和4年)6月4日 – 2011年(平成23年)1月3日。重要無形文化財保持者(人間国宝)。本名は渡邊 一(わたなべ はじめ)。父は四代目中村富十郎、母は日本舞踊吾妻流家元の吾妻徳穂。正四位と旭日重光章追贈。生前は随一の立方、踊りの名手として知られました。若年時、上方を中心に活躍した際には、二代目中村扇雀とともに、その美貌から「扇鶴コンビ」と呼ばれ人気を博しました。この時期には武智歌舞伎にも参加し、ここで積極的に実験的な手法に触れ、古典の品格や解釈を学んだことが大きく影響しています。加えて、終戦後母と共にアヅマ・カブキとして日本舞踊の欧米公演を行ったことは、富十郎自身が語るように、その芸に有形無形の影響を与えています。
一方で東京に出てからは、十五代目羽左衛門系の颯爽とした芸系とともに、二代目尾上松緑に師事して六代目尾上菊五郎の写実的な世話物の系統、また松緑が得意とした荒事や舞踏にいたるまで広く学びました。平成に入ってからは四代目中村雀右衛門との名コンビを謳われて『二人椀久』などの傑作を残しています。
当り役は数多いが、特に初代が初演した『京鹿子娘道成寺』にはお家芸としての特別な自覚があり、五代目富十郎襲名興行でも伝統に則ってこれを務めているが、2003年のNHK古典芸能鑑賞会において実質踊り収めをしています。その芸については、ほとんど当代の役者を褒めなかった池波正太郎が絶賛していたことでもその品の良さの一端を伺い知ることができました。
中村鷹之資
1999年(平成11年)4月11日 -。本名は渡邊 大(わたなべ だい)。五代目中村富十郎と元女優の久邇瑳代子の間の長男。日本舞踊吾妻流家元、吾妻徳穂の孫。東京都出身。平成13年(2001年)4月歌舞伎座『石橋』の文珠菩薩で中村大を名乗り初舞台を踏みます。平成17年11月歌舞伎座『鞍馬山誉鷹』(くらまやま ほまれの わかたか)の牛若丸で初代中村鷹之資の名で初目見得。
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天王寺屋の家紋「八本矢車」
家紋:八本矢車 読み方:はっぽんやぐるま
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