[歌舞伎]紀伊國屋の家紋「丸にいの字」を解説!代表的な主な名跡・役者まとめ


九代目 澤村 宗十郎さんです。

引用:http://www.kabuki.ne.jp/

 

紀伊國屋の由来

初代澤村宗十郎が紀伊國の出身だったことがその名の由来となっています。

 

紀伊國屋の主な名跡

澤村宗十郎、澤村源之助、澤村宗之助

澤村宗十郎(初代澤村長十郎)

初代の師匠・初代澤村長十郎 (1675–1734) が一時期「宗十郎」を名乗ったが、その後すぐに「長十郎」に復した。代々には数えない。
初代澤村長十郎 → 澤村宗十郎 → 初代澤村長十郎

 

初代 澤村宗十郎

初代澤村長十郎の門弟、1685–1756。
初代染山喜十郎 → 澤村善五郎 → 澤村惣十郎 → 初代澤村宗十郎 → 三代目澤村長十郎 → 初代助高屋高助

 

九代目 澤村 宗十郎

1933年(昭和8年)3月8日 -2001年(平成13年)1月12日 )は歌舞伎役者。屋号は紀伊國屋。定紋は丸にいの字、替紋は花有り足有りの笹竜胆。舞踊の名取は藤間 勘嗣朗(ふじま かんしろう)。本名は澤村 壽一(さわむら じゅいち)。東京都出身。

江戸和事で知られた紀伊國屋の芸を伝えていました。若い頃はその美貌で人気を博し、谷崎潤一郎が『瘋癲老人日記』に引用した他、志賀直哉は東横ホールの舞台に立つ20代の訥升の美しさを毎月のように堪能したといわれています。祖父七代目澤村宗十郎が撰した「高賀十種」の『苅萱桑門筑紫轢』(苅萱道心)をはじめとするお家芸に情熱を傾けたほか、平成元年(1989年)からは私財を投じて自主公演「宗十郎の会」を行い、『月缺皿恋路宵闇』(紅皿欠皿)、『百千鳥沖津白浪』(鬼神のお松)、『染替蝶桔梗』(濡髪お関)など埋もれた狂言を復活させました。

姉に元女優の沢村昌子、弟に二代目澤村藤十郎がいます。また元宝塚歌劇団星組男役の澤佳津伎は孫にあたります。祇園甲部の芸妓実佳子はその妹。

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紀伊國屋の家紋について


 

家紋:丸にいの字 読み方:まるにいのじ

文字紋の中でも「平仮名をかたどった家紋」は数少ない家紋とされています。明確な由来はわかっていませんが、初代澤村宗十郎が紀伊國の出身のため、初代に縁の深い「きい」の「い」を使用し、意識したのかも知れません。

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