[歌舞伎]成駒屋の家紋「祇園守」を解説!代表的な主な名跡・役者まとめ


六代目 中村 歌右衛門さんです。

引用:https://ja.wikipedia.org/

成駒屋の由来

四代目中村歌右衛門が、公私にわたって親交を暖めていた四代目市川團十郎から「成駒柄」の着物を贈られたことに感謝し、それまでの屋号・加賀屋を改め、将棋の「成駒」に團十郎の「成田屋」をかけて、成駒屋としたのがその名の由来。

 

成駒屋の主な名跡

中村歌右衛門(四代目以降)、中村芝翫(三代目以降)、中村福助(四代目以降)、中村兒太郎

 

六代目 中村歌右衛門

1917年(大正6年)1月20日 – 2001年(平成13年)3月31日。日本芸術院会員、重要無形文化財保持者(人間国宝)。

五代目中村歌右衛門の次男として生まれます。幼少時に母親の実家、河村家に養子入りしたため、本名は河村藤雄となりました。父・五代目歌右衛門は歌舞伎座幹部技芸委員長として当時の劇界を牽引する大役者であり、御曹司として何不自由ない幼年時代を過ごしました。この頃、先天性の左足脱臼が悪化して数年寝込み、大手術を行ってやっと歩けるようになったといわれています。

1922年(大正11年)10月、東京新富座『真田三代記』で三代目中村兒太郎を襲名して初舞台。順風満帆と思われた舞台人生ですが、1933年(昭和8年)に兄・成駒屋五代目中村福助が早世するや一変します。この年11月、父の意向により歌舞伎座『絵本太功記・十段目』の初菊で六代目中村福助襲名。成駒屋の次代を担うべき人としての重圧がかかります。

1940年(昭和15年)にはその父も死去し、若き福助は歌舞伎界の孤児となります。この頃すでに次世代の六代目尾上菊五郎が絶頂期にあり、五代目が死ぬと周囲の人々は手のひらを返すようにして菊五郎のもとへとなびいていきました。福助のもとへは挨拶に来る者も稀で、有力な後盾はおろか、相談相手にも事欠くような有様となってしまいました。

福助は翌年10月、歌舞伎座『絵本太功記』「十段目」の初菊、『浮世柄比翼稲妻』(鈴が森)の白井権八などで六代目中村芝翫を襲名。以後は、六代目菊五郎とともに「菊吉」と並び称された初代中村吉右衛門を頼んで吉右衛門劇団に所属しました。ここで若手女形としての修業を重ね、吉右衛門や大阪の三代目中村梅玉、二代目實川延若らの薫陶をうけました。

吉右衛門劇団では同世代の女形が少なく、長らく吉右衛門の相方をつとめてきた弟の三代目中村時蔵に代わり、次第に芝翫がその後釜にすわるようになっていきます。吉右衛門は特に戦争末期ごろから芝翫を次々と大役に抜擢し、舞台上で彼をリードするかたちで芝翫を育てていきました。このころの芝翫はその輝くような美貌で有名で、若手のなかでは三代目尾上菊之助(後の七代目尾上梅幸)と並び称されたが、それだけではなく、吉右衛門が得意とする義太夫狂言に多く出ることで、演目に対する解釈を深め、役柄をしっかりと把握、古典的な様式美に近代的な心理描写を加えた表現手法を着々と身につけていきました。

1948年(昭和23年)、文部省芸術祭文部大臣賞受賞。1951年(昭和26年)4月には歌舞伎座『妹背山女庭訓』のお三輪、『京鹿子娘道成寺』の白拍子花子、『祇園祭礼信仰記』(金閣寺)の雪姫で六代目中村歌右衛門を襲名しました。口上では金屏風を前に、吉右衛門と七代目中村福助のみを後見として臨み、口上そのものも吉右衛門のみが行いました。

吉右衛門の亡き後は、1954年(昭和29年)に自主的勉強会「莟会」を発足させ、数々の実験的な試みも行いました。1962年(昭和37年)日本芸術院賞を受賞[1]。1963年(昭和38年)には史上最年少の46歳で日本芸術院会員となります。1969年(昭和44年)には、日本俳優協会会長だった三代目市川左團次の死去にともない会長代行に就任。2年後正式に同協会会長に就任し、1999年(平成11年)まで28年の長きにわたりその職を務め上げました。

海外公演にも積極的に参加、1960年(昭和35年)のアメリカ本土公演を皮切りにソ連、ハワイ、カナダ、イギリス、ドイツ、フランスなど多数。1975年(昭和50年)には来日した英国のエリザベス女王の前で公演を行い、歌舞伎の海外への紹介に尽力しました。

1980年代前半(昭和50年代後半)になると、足の衰えが顕著になり始め、「一世一代」と銘打たれた興行も見られるようになった。得意としていた大役の数々、例えば『本朝廿四孝・十種香』八重垣姫や『籠釣瓶花街酔醒』(籠釣瓶)の八橋などを丁寧につとめました。平成に入ると舞台に立つ機会はさらに少なくなってしまいましたが、そんな中でも舞台の監修を積極的に行い、後進の四代目中村雀右衛門 、五代目坂東玉三郎、九代目中村福助らに稽古をつけています。

1996年(平成8年)の舞台を最後に療養生活に専念。5年後に84歳で亡くなりました。

八代目 中村芝翫

1965年(昭和40年)8月31日 -。スプリングフィールド所属(2012年より太田プロと業務提携)。前名の三代目 中村 橋之助(さんだいめ なかむら はしのすけ)としても知られる。本名は中村 幸二(なかむら こうじ)。

1970年5月、国立劇場『柳影沢蛍火(やなぎかげ さわの ほたるび)』の吉松君で、本名の中村幸二を名乗って初舞台を踏む。
1980年4月、歌舞伎座『沓手鳥孤城落月(ほととぎす こじょうの らくげつ)』の裸武者石川銀八ほかで、三代目中村橋之助を襲名。
2011年、日本芸術院賞受賞。
2016年10月・11月、歌舞伎座『極付幡随長兵衛』の幡随院長兵衛、『熊谷陣屋』の熊谷直実、『祝勢揃壽連獅子』の狂言師後に親獅子の精、『盛綱陣屋』の佐々木盛綱で八代目中村芝翫を襲名する。

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成駒屋の家紋について


 

家紋:祇園守 読み方:ぎおんまもり
祇園守とは、京都東山にある八坂神社が発行する牛頭天王の護符のことです。疫病や厄災から身を守るためのお守りとされていますが隠れキリシタンが使用していることも多い家紋です。

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