三代目 嵐璃寛さんです。
引用:https://ja.wikipedia.org/
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葉村屋の主な名跡
嵐璃寛(三代目~)、嵐德三郞(三代目~)、嵐寛壽郞三代目 嵐璃寛
文化9年〈1812年〉 – 文久3年4月21日〈1863年6月7日〉旅役者の生島岩五郎の子として生まれました。当初は父岩五郎と共に旅芝居に出ていたが、のちに二代目尾上多見蔵門下となって尾上和三郎と名乗り、文政10年(1827年)春に京の宮地芝居に若女形として出演しました。天保元年(1830年)には二代目嵐璃寛門人となり、三代目嵐徳三郎を襲名。以後女形として二代目璃寛の相手役を勤め、美しい女形と評判でした。天保5年(1834年)11月に嵐橘蝶と名乗るが、同8年6月に師匠の璃寛が死去したのを受け、再び徳三郎を名乗ります。天保10年(1839年)以降は立役も手がけるようになり、天保14年(1843年)11月、大坂大西芝居で三代目嵐璃寛を襲名しました。
当り役は『小野道風青柳硯』の小野道風、『双蝶々曲輪日記』の濡髪長五郎、『妹背山婦女庭訓』のお三輪など。上方や江戸の舞台で活躍し、口跡がよく若女形、立役を得意としたが、女形の役のほうが評判はよかったようです。享年52。実子に四代目嵐璃寛がいます。映画『鞍馬天狗』で名を馳せた嵐寛寿郎は子孫に当たります。
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葉村屋の家紋について
家紋:三つ橘 読み方:みつたちばな
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