馬にまつわる家紋には複数のものがありますが、その中に馬にかける道具をモチーフとした「杏葉」というものがあります。
一見植物紋にも見える「杏葉紋」は、様々な武将たちの家紋に用いられていました。
今回は、「杏葉紋」の由来・意味・種類や、使用したいた戦国武将についてご紹介いたします。
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目次
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杏葉紋の意味・由来とは?
読み方 | ぎょうようもん |
家紋の分類 | 器物紋 |
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杏葉は、馬にかける金属や革製の装飾品のことで、日本でも古くから使用されてきました。
杏葉紋は「茗荷(みょうが)紋」にも似ていますが、杏葉紋は植物ではないため葉や花が無いので、見分けのポイントとなっています。
九州を中心とする大名家の他、武家では現在の大分県である豊後の大友氏、公家では中御門家や持明院家などに用いられました。
杏葉紋は歴史が古いものの使用例は少なく、家紋としては2つが向かい合う「抱き」のデザインが多く存在しています。
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杏葉紋の種類いろいろまとめて解説
抱き杏葉 |
石持ち地抜き抱き杏葉 |
花杏葉巴 |
小城花杏葉 |
三つ盛り抱き杏葉 |
抱き花杏葉 |
太輪に違い花杏葉 |
六つ杏葉車 |
杏葉紋には、このような種類があります。2つが向かい合いあう「抱き」のデザインが多くありますね。
中には三つの杏葉を描いた「三つ盛り抱き杏葉」や、六つを花形に配置した「六つ杏葉車」などの3つ以上の杏葉を描いたものもあります。
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大友抱き花杏葉を使った戦国武将
杏葉紋の中には、こちらの「大友抱き花杏葉紋」という種類があります。まずはこちらの大友抱き杏葉を使用していた戦国武将を3人ご紹介します。
立花道雪の家紋「大友抱き花杏葉」
立花道雪の家紋「大友抱き花杏葉」を解説!雷神と呼ばれた大友家の戦国武将「関ヶ原の戦い」で、輿に乗って戦った武将として有名な大谷吉継は、大友家の庶流として生まれたため「抱き杏葉紋」を家紋に用いていました。
しかし、道雪の後の子孫は「祇園守紋」を使用していたそうです。この祇園守紋は守紋とも呼ばれ、京都の八坂神社が発行するお守りをモチーフにしたものです。
巻物によって十字が描かれていることから、隠れキリシタンが使用していた家紋の一つでもあります。
詳しくはこの記事をチェック!
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高橋紹運の家紋「大友抱き花杏葉」
高橋紹運の家紋「大友抱き花杏葉」を解説!猛将と呼ばれた大友家の戦国武将高橋紹運は九州の名家・大友氏を支えた家臣の一人です。九州の名将として知られ、さらに義に厚い武将であったことでも有名な人物です。
大友宗麟の家紋「大友抱き花杏葉」
大友宗麟の杏葉紋は九州で大人気!ザビエルの洗礼でキリシタン大名となった戦国武将大友宗麟は「キリシタン大名」の名で有名な人物で、ザビエルから洗礼を受けたことでキリスト教徒となりました。
しかし、そのせいで大友家を危機に晒したことでも有名です。
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鍋島花杏葉を使った戦国武将
続いては「鍋島花杏葉紋」を使用していた戦国武将についてご紹介いたします。
この家紋は、勝茂の父・直茂が九州の有力者であった大友家の軍を破った時に得たもので、以来鍋島家ではこの家紋を定紋にしています。
鍋島勝茂の家紋「鍋島花杏葉」
鍋島勝茂の家紋と生涯について-肥前佐賀藩初代藩主となった戦国武将-鍋島勝茂は肥前佐賀藩初代藩主となったことで良く知られる武将です。親子で鍋島花杏葉紋を使用していましたが、人物としては父の直茂の方が有名です。
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鍋島直茂の家紋「鍋島花杏葉」
鍋島直茂の家紋は大友家に由来する?龍造寺隆信に仕えた戦国武将を解説上記の鍋島勝茂の父である直茂は、島津家の家臣として働く一方で豊臣秀吉にも接近していました。
頭の良さを秀吉に気に入られ、直茂は龍造寺家から与えられた領地とは別に、秀吉からも領地をもらうという格別の待遇を受けました。
龍造寺隆信の家紋「鍋島杏葉」
龍造寺隆信の3つの家紋と生涯|九州三傑の一人と言われる戦国武将龍造寺家の分家の血筋として生まれた龍造寺隆信は、7歳のころに出家して僧になります。
3つの家紋を使用しており、1つは「鍋島花杏葉紋」、そして残りは「変わり十二日足紋」と「剣花菱紋」でした。
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まとめ
馬にかける金属や革製の道具を紋化した「杏葉紋」についてご紹介しましたが、いかがでしたでしょうか?
杏葉紋には様々な種類が存在する上、複数の戦国武将にも使用されていた有名な家紋です。
今回ご紹介した武将たちは全て別途記事でご紹介していますので、そちらも是非合わせてチェックしてみてくださいね。
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