家紋はその家のイメージを表現するものですが、正式な家紋を「定紋」、サブとして持っていた別の家紋を「副紋」と呼んでいました。
副紋は替紋とも言いますが、なぜこのようにサブ家紋を使用していたのでしょうか?どのような場面で役だったのでしょうか?
今回は、定紋と副紋(替紋)を使い分けた理由と、複数の家紋を使用していた戦国武将たちについてご紹介いたします。
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目次
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定紋と副紋(替紋)とは?なぜ2つ以上家紋が必要なの?
まずは改めて「定紋」と「副紋(替紋)」について説明したいと思います。そして特定の1つの家紋だけではなく、副紋を持つようになった理由についても解説していきます。
定紋と副紋(替紋)とは?
まず定紋とは、一般的に「家紋」と呼ばれるその家や一族の者たちが共有する紋章のことで、アイデンティティを示すものとして使用されていました。
また、かつては全員が文字を読むことができなかったため、目で見分けることのできる紋で他者との区別をし、重宝していました。衣服や調度品などに刻んでおくことで誰でも識別できたというわけです。
定紋はその家そのものを表し、代々継承して一族で共有する他、その家を印象付けることのできるオフィシャルマークのような存在でした。
次に副紋(替紋)とは、定紋とは別にサブとして持っておく家紋のことで、譲り受けたり与えられたものや、記念して定めたもの、自分の好みなどの趣向によるものなど、自由に定めることができました。
副紋はアンオフィシャルで、定紋よりも自由なものだったのです。
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2つ以上家紋を持つようになった理由
副紋を持っている者は、2つ以上の複数の家紋を使用しているパターンもあります。いくつのも家紋を所有するのは大変な気もしますが、2つ以上の家紋を持つようになったのには理由があります。
先ほどお話したように、記念など譲り受けて持つようになったことや、自分の好みのデザインを衣服や調度品などに刻むために持っていたようです。
また、かつては特定の家以外、家紋の使用を法令で禁じられたことがありました。
「葵紋」がその例で、将軍家の勲章として家紋に用いられ始めると、徳川家以外の使用はご法度となったのです。
そのような緊急の際に役立つのが副紋でした。定紋を失った家は副紋を定紋へとシフトしていったのです。
詳しくはこの記事をチェック!
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家紋とは別に女紋・加賀紋・伊達紋も登場
定紋や副紋(替紋)の他に、女性だけが持っていた「女紋」という紋も存在しています。これは副紋よりも更に自由に決めることができたもので、江戸時代中期にはカラフルで華やかさのある「加賀紋」「伊達紋」が人気となっていました。
着物などに刺繍で刻んだりと、女性たちにとってお洒落なものとして定着していました。
詳しくはこの記事をチェック!
女紋のルーツや紋の決め方については、上記の記事で詳しくご紹介していますのでチェックしてみましょう!
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江戸時代には参勤交代で家元を見分けるために家紋が義務付けられた
江戸時代には、江戸と国元とに一定期間ずつ交代で居住させた制度である「参覲交代」が誕生します。
その際、家元を見分けるために家紋を持つことが義務付けられ、武鑑に各家元の定紋と替紋がまとめられたのです。
複数の家紋を使った戦国武将を7人紹介
では、1つの家紋に絞らず複数の家紋を使い分けていた戦国武将たちを、その歴史と共にご紹介いたします。
それぞれ別途記事でまとめていますので、合わせてチェックしてみましょう。
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8つも家紋使った伊達政宗
伊達政宗の家紋の由来を画像付きで解説!8つの家紋使い分けた意味とは?仙台の戦国武将である伊達政宗は、なんと8つもの家紋を使用していました。有名どころの戦国武将の中では多い紋数です。そのうちの4つの紋をご紹介したいと思います。
五七桐紋 | 牡丹紋 |
九曜紋 |
竹に雀 |
植物や動物などがモチーフをしたもので、統一感はあまりないですが、それぞれに異なる意味合いが込められています。
詳しい情報や政宗が使用していたその他の家紋については、上記の記事で確認してみましょう。
7つの家紋を使った織田信長
織田信長の7つの家紋を用いた意味・由来を簡単に画像付きで解説!織田木瓜の家紋の読み方は?織田信長も多くの家紋を使用していた武将の1人で、7つの紋を用いていました。メインは有名な「織田瓜」という植物の瓜を描いた瓜紋なのですが、それ以外にも様々なジャンルの紋を使用していたようです。
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永楽通宝 |
五三桐 |
無文字 |
家紋の詳細や信長の歴史的ストーリーについては、上記の記事で確認してみてくださいね。
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【五三桐】【五七桐】【太閤桐】を使い分けた豊臣秀吉
豊臣秀吉の家紋はひょうたん?桐紋?家系図付きで解説!首相官邸で使われている桐紋の意味、都市伝説も!?豊臣秀吉も有名中の有名な歴史上の人物ですが、植物紋である「桐紋」を3種類使い分けていました。
五三桐 |
五七桐 |
太閣桐 |
「五三桐」と「五七桐」はよく似ていますが、上部に描かれた葉の枚数に違いがあります。
なぜ3種類もの桐紋を使用していたかについては、上記の記事でチェックしてみましょう。
加藤清正の家紋「桔梗紋」と「蛇の目」
加藤清正の生涯と家紋「蛇の目」と「桔梗紋」について|熊本城を作った戦国武将加藤清正は、戦国時代に活躍した武将で「築城の名手」と言われています。家紋にはこの2つを使用していました。
桔梗 | 蛇の目 |
柴田勝家の家紋「五瓜に唐花紋」と「二つ雁金紋」
柴田勝家の2つの家紋の由来に迫まる!25歳の年の差婚を実現させた魅力とは柴田勝家といえば「鬼柴田」「かかれ柴田」との評価を受けるほど、織田信長からの厚い信頼を受けた人物です。
五瓜に唐花 |
二つ雁金 |
家紋には植物紋の中でも有名な瓜紋の「五瓜に唐花」と、首の長い鳥でありながら家紋では首が描かれなかった雁金紋の「二つ雁金」を使用していました。
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石田三成の家紋「下り藤」と「九曜」
石田三成の家紋の由来を画像付きで解説!大一大万大吉は旗印、九曜紋、下り藤が家紋豊臣秀吉に忠臣を誓い、関が原で大敗した戦国武将というイメージが強い石田三成が使用していたのは、こちらの家紋でした。
下がり藤 |
九曜 |
直江兼続の家紋「三盛亀甲に花菱」と「三盛亀甲に三枚葉」
直江兼続の家紋の由来・意味とは?「愛」の兜文字でよく知られる戦国武将「愛」の兜文字でよく知られる直江兼続は、「三つ盛り亀甲」を好んでいたようです。亀甲は亀の甲羅をモチーフとしたもので、とても縁起の良い紋とされていました。
三盛亀甲に花菱 | 三盛亀甲に三枚葉 |
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まとめ
定紋と副紋(替紋)の違いと使い分けた理由、複数の家紋を使用していた武将についてご紹介しましたが、いかがでしたでしょうか?
定紋はオフィシャルな紋で、副紋は記念や自分の嗜好で決めることのできた自由度の高い紋であることがわかりました。
せっかくなので、複数使用していた武将の歴史についても別途記事で確認してみましょう。それぞれの武将の好みもわかって面白いですよ。
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