磐城平藩の家紋は「上がり藤」戦い抜いた磐城の戦い

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磐城平藩とは?

磐城平藩は現在の福島県浜通り南部を治めていた譜代藩です。
夏は暑すぎず冬は寒すぎずと、気候に恵まれた土地です。

様々な名物お菓子があるのでも有名です。
藩庁の磐城平城がおかれたいわき市のお土産で嬉しいものは、創業嘉永五年(1852年)「柏屋」の薄皮饅頭で、日本3大まんじゅうともいわれているとか!

そんな磐城平藩の歴史をみていきましょう。

磐城平藩の基礎情報

石高 3万石
旧国 陸奥(福島県)
居城 平城(いわき市)
藩主 鳥居家~安藤家
家紋名 上がり藤
江戸城控間 雁間
城主
爵位 子爵
藩主の変移 鳥居家 初代 鳥居忠政
内藤家
井上家
安藤家 最後の藩主 安藤信勇
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歴代藩主と石高の減封

元々は岩城氏が支配してきた地域でしたが、関ケ原合戦で西軍に与した岩城貞隆から徳川幕府が領地を没収します。
鳥居家、内藤家、井上家を統治をし、宝暦6年(1768)安藤信成が美濃可納藩から5万石で移封されました。

信成は松平藩定信を補佐して、幕府要職を任命され勤めます。五代信正は幕末期に老中として、開国を推進し、公武合体策を打ち出しますが坂下門外の変が起こり、みずからも負傷して失脚し、磐城平藩も3万石に減封されました。

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引用:https://hatebu.me/entry/2017/03/23/221210

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現在も見受けられる磐城平城の戦の痕跡

磐城平城(別名龍ヶ城)は徳川家康の側近鳥居忠正により10万石でつくられます。

城の全長192mの坂は敵兵に備えて曲がりくねっており敵陣への警戒が見受けられます。

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引用:https://kojodan.jp/castle/831/

最終的に戊辰戦争で起きた磐城の戦により城は焼け落ちてしまい、多くの死者がでました。

現在、城自体は昔のように残ってないため現在は見ることができませんが、本丸跡地は公園となり残っています。また、いわき駅構内もお城の跡地の一部となっています。

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磐城平藩の家紋「上がり藤」を解説

磐城平藩の家紋は「上がり藤」です。

藤紋は、日本十大家紋の中で一番使用されているとされます。上がり藤下がり藤などあります。現在は藤のついている苗字(佐藤、加藤、斎藤、伊藤、内藤、安藤など)で使われている家紋です。

藤紋が生まれる要因になったのは中臣鎌足が藤原の姓を手に入れ、藤原鎌足になりました。藤と呼ばれる植物は藤原氏の存在を物語っているといわれています。

藤は支柱となる他の木に絡みつき伸び、花を咲かせますが、天皇を支え日本の権力を手にいれた藤原氏の成り立ちに近いことから藤紋がより強い存在にひきたちます。

藤原氏は、藤の花を特に大切にして楽しんでいました。藤原氏の家紋は下り藤を多く使用しています。
下り藤の後に上がり藤が造られました。
その理由としては本家と分家を区別するためと言われています。
上り藤ができたのも様々説があり、下向きだと演技が悪いからなどと言われています。

藤の花について

というと何を思い浮かべるでしょうか?おそらく、詩人や舞台などに使用される品の良いお花でしょうね。
藤が咲くのは4月中旬から5月上旬です。藤の花言葉は「優しさ」「歓迎」「恋によう」「決して離れない」とあり、どれもポジティブに聞こえます。
昔の詩人が好んで使ったのもわかりますね。

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