「蝶」をモチーフとした「蝶紋」は、家紋の中でも有名で色々な戦国武将たちに使用され、また300あまりの幕臣に用いられていた家紋でした。
今回は、「蝶紋」の情報をたっぷりとご紹介いたします。蝶紋が人気となったきっかけ・意味合い・種類・使用していた戦国武将などについて見てみましょう!
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目次
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蝶紋の意味・由来とは?
読み方 | ちょうもん |
家紋の分類 | 動物紋 |
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蝶は中国から伝来し、平安時代には様々な分野で使われるようになりました。その証拠として「平家物語」や「源平盛衰記」にも多数登場しています。
文様から徐々に家紋に用いられるようになり、平氏一族が使用したことで全国的に広まり、江戸時代には300ほどの幕臣の家紋となりました。
織田信長の代表紋は「織田瓜」ですが、他に揚羽蝶も使用していました。平家の出と称するのに合わせ使用したと言われています。
また、平清盛流の者に多く用いられていたため、その後清盛流の代表紋にもなりました。
その他の使用者には、武家では伊勢氏、池田氏、松平長沢氏、公家では西洞院氏などがあります。
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揚羽蝶の家紋を最初に使ったのは?
揚羽蝶紋を最初に使用したのは平氏であると言われています。「平清盛」で有名な平氏が文様として使用されていた蝶を家紋に用いたことで全国的に普及し、その後300もの幕臣の家紋となるまでに拡大していったのです。
なぜ蝶紋は多くの人から愛用されたの?
蝶紋がそこまで拡大することになったのには理由があります。まずは女性に好まれるデザインであったことです。
蝶紋は羽を広げた蝶が描かれているわけですが、これが優美だとして多くの女性の心を掴んでいました。
そして、もう一つの理由には「蝶の成長過程」が関係しています。蝶はもともと卵から生まれ、幼虫→さなぎ→蝶という流れで成長していきます。
脱皮をし、美しい羽を持つ蝶として空に羽ばたいていくことが縁起が良いとして好まれたのです。
動物をモチーフとした家紋はいくつかありますが、その中でも成長過程や姿の美しさ・縁起の良さが好まれた理由となっていました。
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蝶紋の種類いろいろまとめて解説
柏蝶 |
亀甲に揚羽蝶 |
三つ蝶に桔梗 |
扇揚羽蝶 |
蝶花形 |
上下向かい蝶 |
細中陰飛び桐蝶 |
浮線蝶に花菱 |
蝶紋には大変豊富なバリエーションがありますので、こちらはほんの一部になります。
蝶だけを描いたものもあれば、別の家紋と組み合わせたもの、また別の家紋に姿を見立てたものがあります。
蝶紋は特に植物をモチーフとした植物紋と組み合わせられることが多く、あらゆるアレンジが施されているのです。
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家紋「揚羽蝶」を愛用した人物
様々な種類を持ち、非常に好まれていた蝶紋ですが、どのような人物に用いられていたのでしょうか?
使用していた戦国武将の歴史と、使用していた蝶家紋についてご紹介いたします。
平清盛の揚羽蝶と対い蝶
蝶紋は全国的に普及するきっかけとなったのが平氏一族です。「揚羽蝶と対い蝶」を使用し、蝶紋は平清盛流の代表紋となります。
北条早雲の向い蝶
北条早雲(伊勢盛時)の家紋「三つ鱗」と戦国時代幕開を実現した人物と言われる人生に迫る長く続いた戦国時代の開幕は、この北条早雲という人物が関わっていると言われています。
北条家の家紋は「三つ鱗」として有名ですが、北条早雲はもう1つの家紋である「替紋」として「対い蝶」を使用していました。
三つ鱗紋 |
対い蝶紋 |
鱗紋は三角形を組み合わせた幾何学模様の紋で、この模様が魚や蛇、龍の鱗に見えたことから鱗紋と呼ばれるようになりました。
詳しくはこの記事をチェック!
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織田信長の揚羽蝶
織田信長の7つの家紋を用いた意味・由来を簡単に画像付きで解説!織田木瓜の家紋の読み方は?織田信長はなんと7つもの家紋を使用していました。その中に「揚羽蝶紋」が入っています。信長は自身がが平氏の流れをくむと称して、この家紋をを使用していました。
信長が使用していた家紋は他にこのようなものがありました。
織田木瓜 |
永楽通宝 |
五三桐 |
丸に二引き両 |
植物紋や器物紋など様々なものがあります。家紋の詳細や信長の歴史的ストーリーについては、上記の記事で確認してみてくださいね。
池田恒興の池田蝶と揚羽蝶
池田恒興の家紋と生涯|信長の乳母の子で蝶紋が似合う戦国武将池田恒興は、信長の乳母だった「養徳院」の子です。それゆえに幼いころから信長と縁が深く、二人は非常に仲のいい間柄だったと言われています。
揚羽蝶紋 |
備前蝶紋 |
家紋には「揚羽蝶紋」と「備前蝶紋」の2種類の蝶紋を使用しており、備前蝶紋の「備前」とは岡山にある地域のひとつで、池田光政が岡山藩城主になっています。別名「池田蝶」とも言われているので、池田氏のみの家紋と考えられています。
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池田輝政の池田蝶と揚羽蝶
池田輝政の家紋と生涯|現在の姫路城を作った戦国武将(池田恒興の次男)池田輝政は上記で登場した池田恒興の次男で、現在の姫路城の姿を作った武将です。
家紋は父・恒興と同じ「揚羽蝶紋」と「備前蝶紋(池田蝶紋)」を使用していました。
大谷吉継の向い蝶
大谷吉継の家紋「向かい蝶」と「鷹の羽」について|石田三成との友情を貫いた戦国武将を解説大谷吉継は関ヶ原の戦いで石田三成率いる西軍に参加し、敗北してこの世を去った人物です。
家紋には「対い蝶」と「鷹の羽」の2つの紋を使用していました。生涯を終えることになった関ヶ原の戦いでは、「鷹の羽紋」を使用しています。
対い蝶紋 |
鷹の羽紋 |
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初代「新選組」の局長・芹沢鴨の揚羽蝶
初代「新選組」の局長・芹沢鴨の家紋「揚羽蝶」と生涯新選組の局長と言えば近藤勇が有名なのですが、実は新選組結成初期にはもう一人の局長としてが芹沢鴨いました。
37歳で生涯を終えることになってしまう芹沢鴨ですが、家紋には「揚羽蝶紋」を使用していたようです。
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まとめ
家紋の中でも絶大的な人気のある「蝶紋」についてご紹介しましたが、いかがでしたでしょうか?
平氏一族に使用されたことで普及し、その後は300あまりの幕臣に使用されていたとても有名な家紋です。
戦国武将たちにも好まれたものなので、是非関係する武将たちの歴史についてもチェックしてみてくださいね。
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