亀田藩の家紋は「岩城櫺子に月」現在も色濃く残る城下町跡

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亀田藩とは

現在も城下町の雰囲気を色濃く残している秋田県亀田の地。
史跡も多く残され、亀田藩主岩城吉隆の居館を再現した美術館もあります。

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引用:http://yuri-kikou.akita-kenmin.jp 

そんな伝統文化を感じさせる地を残したのが、亀田藩です。

そして、真田幸村とも深い縁があった亀田藩。
今では多くの人に愛されている亀田藩ですが、当時は決して順風満帆とは言えませんでした。

そんな亀田藩について見ていきましょう。

亀田藩の基本情報

石高 2万石
旧国 出羽(秋田県)
居城 亀田陣屋(由利本荘市)
藩主 岩城家
家紋名 岩城櫺子に月
江戸城控間 柳間
城主挌
爵位 子爵
藩主の変移 初代 岩城吉隆
最後の藩主 岩城隆邦
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亀田藩の2度の大きな敗北

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引用:http://47web.jp   

亀田藩の藩主である岩城氏

岩城氏は岩城平(福島いわき市)を拠点とした戦国大名でした。

戦国武将としては岩城重隆が有名ですね。

そんな岩城藩は、佐竹家から藩主を招き入れたことをきっかけに、久保田藩佐竹家と深い関係を築きました。

しかし亀田藩は大きな敗北を2度しています。

1度目の敗退・関ヶ原の戦い

関ヶ原の戦いでは、関係の深かった佐竹家と行動を共にするも、 没落する結果となってしまいました。

2度目の敗退・戊辰戦争

大坂の陣の功績により、徳川幕府時代に大名復帰を果たした亀田藩。

しかし、戊辰戦争では新政府側に敗北してしまいました。

始めは、新政府側についていたものの、途中寝返ったことが凶と出てしまったのです。

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真田幸村と亀田藩の縁

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引用:http://sanadamaru.syuriken.jp  

真田幸村といえば、2016年の大河ドラマ「真田丸」でも大きく話題になりました。

その真田幸村と亀田藩には縁があります。
真田幸村の愛娘、真田直は岩城家に嫁いだのです。 

真田直は岩城宣隆の正室となり、御田の方(おでんのかた)と呼ばれました。

秋田県亀田由利本荘市岩城亀田にある妙慶寺は、御田の方が真田家の供養のために開いたお寺です。

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亀田藩の家紋は「岩城櫺子に月」

亀田藩の家紋は「岩城櫺子に月」です。

真ん中に描かれている円は、月紋です。
月は古くから信仰の対象であり、戦国武将伊達政宗の兜にも月紋が用いられていますね。

櫺子は、連子とも表記します。
連子とは、窓に木や竹を一定の間隔を保ち並べられたものです。

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