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家紋が生まれる前の制度なる「氏姓制度」
今は名字と名前になっていますが、かつての日本には「氏姓制度」(うじかばね)というものが存在しました。当時は大和朝廷で天皇中心の世の中だったので、その身分制度を確立するために作られたのが氏姓制度だったといえます。
この氏姓制度の氏と姓を簡単に説明すると、
「氏」・・・血筋を表すもので自分の父系の血縁集団で名乗る
「姓」・・・地位を表すもので大和王権の天皇が政権との関係や地位を示す称号として与えた
氏姓制度を柿本朝臣人麻呂だと
歴史の教科書によく出てくる柿本朝臣人麻呂を例にすると、
「柿本」が氏
「朝臣」が姓
となります。
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4大氏「源平藤橘」の誕生
奈良時代、平安時代を通して繁栄した一族に「源氏」「平氏」「藤氏」「橘氏」の4氏がいます。この4つの氏をまとめて「源平藤橘」と呼ばれます。
臣籍降下で与えられた「源氏」と「平氏」
臣籍降下とは皇族がその身分を離れて、姓を与えられ臣下の籍に降りることを意味します。実は。源平藤橘の内の2つの氏である「源氏」と「平氏」は臣籍降下によって与えられた氏なのです。当時の天皇の子、孫、ひ孫などで皇位を継承しなかった皇族が臣下となることで与えられました。一般的には天皇の子に与えられたのが源氏、孫以下に与えられたのが平氏と言われています。それでは源平藤橘の4氏の家紋をそれぞれ見ていきましょう。
現在の使われている名字にもそのルーツがあります。
源氏の家紋の由来、意味を画像付きで解説
源氏の家紋の由来
源氏には全部で21種類の流れがあるといわれていますが、最も有名人はやはり源頼朝ですね。鎌倉幕府を開いた頼朝も清和源氏の支流の河内源氏の武士出身です。清和源氏とは清和天皇の皇子4人、孫12人が臣籍降下した際に称した氏族にあたります。笹竜胆紋(ささりんどう):源氏の家紋画像
竜胆はその花が清楚で高貴な紫色していることから村上源氏諸家や宇多源治などが用いた家紋です。平氏の家紋の由来、意味を画像付きで解説
平氏の家紋の由来・意味
平氏には桓武天皇の孫を祖とする桓武平氏などの4つの流れがあります。平氏で有名なのは平清盛です。源平の戦いでは源氏と激しい争いを繰り返したのに滅亡してしまった平氏。元々は臣籍降下で与えられたは皇族の氏です。平氏は天皇の孫以下の親族に与えられた氏だるため源氏より格が劣るとみられていました。揚羽蝶紋:平氏の家紋画像
奈良時代から調度品などの紋様に使われた揚羽蝶。家紋として使ったのは桓武源氏が使ったとして有名です。スポンサードリンク
藤原氏の家紋の由来、意味を画像付きで解説
藤氏の家紋の由来・意味
藤原氏といえば中臣鎌足に源流を持つ偉大な氏です。天武天皇が腹心の中臣鎌足の功績を称えて与えたのが藤原氏です。藤原氏は奈良時代から平安時代にかけて繁栄し平安時代の後期には朝廷の役職をほぼ独占したと言われています。下がり藤紋:藤氏の家紋画像
藤の花と藤の葉をモチーフにした家紋です。今でも広く普及しており、5大家紋の一つとされている。橘氏の家紋の由来、意味を画像付きで解説
橘氏の家紋の由来・意味
橘氏は敏達天皇に嫁いだ三千代を祖とする氏で、三千代の前の夫との子諸兄が橘氏を継いだことで始まったとされている。しかし、橘氏は藤原氏との政権争いに敗れ、平安時代には下流貴族へと没落した。著名な人物として挙げられるのは橘逸勢くらいです。南北朝時代の楠正成は橘氏の末裔とされている。橘紋:橘氏の家紋画像
橘の実と葉をモチーフにした家紋。花の周囲には葉3枚、茎2枚で描かれることが多い。
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氏姓制度から名字の誕生へ
源平藤橘時代の後期には橘氏が衰退したことによって、他の3大氏である源氏、平氏、藤原氏がその後も勢力を伸ばした。結果的には源氏、平氏、藤原氏が日本全国で繁栄したことで一族での区分がなかなかできにくい状態となってしまいまいた。確かに今の世の中で源さんと平さん藤原さんしかいなかったら小学校の点呼とか大変そうですよね。そこから同じ3氏の一族の中でも区分けをしていこうとされて誕生したのが「名字」です。名字はその公家や武士の拠点や屋敷の場所、地名などが氏と組み合わせて作られたことが多く、例えば加賀の藤原氏だと加藤さん、その他にも佐藤さん伊藤さんという形の名字になったようです。
平安時代後期には名字が生まれる
平安時代後期には藤原氏以外の貴族や、藤原氏の中でも分家クラスは地方の官僚になる道を選ぶようになります。朝廷制度が少しずつ薄れ、地方にも大名などがたくさんうまれるようになりました。その後、地方の支配者となったもの貴族は支配力をさらに大きくするために武装した結果、彼らは武士となりその土地の名前を名字として名乗るようになりました。名字誕生により、かつての氏は親族集団を示す呼称 → 家系を示す記号へと変化していった。元々は天皇家から与えられた特別なものだった氏は平安時代後期以降は公的な場や文章でしか使われなくなり、日常的には現在のように名字を使うようになりました。