目次
|
|
桔梗紋の家紋を持つと悲劇が多い?明智光秀、加藤清正、山県昌景、坂本龍馬も
呪われた桔梗の家紋…その悲劇に迫る
引用:http://matome.naver.jp/odai/2146373755431273101
時に、武将や偉人を示すものとして知られる家紋。
この家紋の有名なエピソードに「錦の御旗」があります。
幕府軍と新政府運がぶつかり合った戊辰戦争の中で、新政府軍は天皇家の家紋である「菊の紋」をつけた旗を持って進撃しました。
天皇家の紋をつけた軍と戦うことは、そのまま天皇を傷つけることを意味します。
当時、天皇家は神と同等と考えられていたほどの存在でしたので、菊の紋をつけた軍と戦うことはできないと判断した多くの藩が幕府軍から離れたと言います。
このように、家紋には本当に多くのエピソードがあります。
スポンサードリンク
桔梗紋の家紋をつけた偉人・武将の悲劇に迫る
愛らしい桔梗紋だが明智光秀・坂本龍馬などの武将、著名人が使った悲劇の家紋
その家紋の中で、特に有名なものに「桔梗紋」の家紋があることをご存知でしょうか。引用:https://www.ttrinity.jp/product/1107404
桔梗紋は桔梗の花をそのままあしらったもので、どこか可愛らしい印象のある家紋ですね。
しかし、この家紋を使っていた有名な偉人と武将が悲劇に巻き込まれていることから「悲劇の家紋」と呼ばれることもあるそう。
例えば、有名なのは明智光秀です。
引用:http://topicks.jp/37044
戦国時代に活躍した明智光秀は、本能寺の変で織田信長を討ったことことから天下人に近づきましたが、その直後に豊臣秀吉に敗れました。
「三日天下」という言葉までできてしまったほど有名な明智光秀も、桔梗紋を使っていた武将でした。
光秀は信長に気に入られていた武将ですので、信長を討ったことは「裏切り」でもあります。そのことからも後世で悪く言われるのは仕方がないのですが、三日で天下人の可能性が途絶えてしまったことはやはり「悲劇」と言っていいでしょう。
あの坂本龍馬も桔梗紋を家紋にしていた
新選組の時代には絶対に離せない坂本龍馬と桔梗紋の関係とは
もう一人、桔梗紋を使っていた人物として知られる著名人に坂本龍馬がいます。引用:http://barbarossa.red/ryoma-truth/
坂本龍馬は幕末に薩摩・長州の「薩長同盟」の立役者として知られる偉人ですが、彼は志半ばで「暗殺」という悲劇に遭い、命を落とすことになりました。
暗殺したのは新選組とも言われていましたが、現在では京都・見回り組の犯行という見方が有力です。
常に時代の先を見て、日本の未来を見つめていた坂本龍馬の死は、今の時代になっても惜しむ人がたくさんいるほど。彼が生きていれば、私たちが生きている日本は違ったものになっていたのかもしれませんね。
他にも、桔梗紋を使っていた人物には熊本城の主として知られる加藤清正、甲斐・武田氏に使えた山県昌景がいます。この2人は取り立てて悲劇があるということはありませんが、やはり坂本龍馬や明智光秀のイメージが強いので、「悲劇の家紋」と呼ばれるのかもしれませんね。