家紋というと日本的な印象がありますが、ヨーロッパにも「紋章」としてその家々のシンボルマークがありました。
その中でも、イタリアのフィレンツェを支配していたメディチ家の紋章とその歴史についてご紹介したいと思います。メディチ家の歴史と功績をあげた人物などについて見ていきましょう。
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目次
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フィレンツェの支配したメディチ家とは?
メディチ家は、ルネサンス期のイタリア、フィレンツェで政治家兼銀行家として支配し、後にトスカーナ大公国の君主となった有名な家です。
その財力でルネサンスの文化を大きく成長させたとしても知られています。具体的には、ボッティチェリ、レオナルド・ダ・ヴィンチ、ミケランジェロ、ヴァザーリ、ブロンツィーノ、アッローリなどの多数の芸術家をパトロンとして支援していました。メディチ家を称える建造物も多数フィレンツェに残されています。美術品に関してはフィレンツェのウフィツィ美術館に保存されています。
メディチ家は銀行業を始める前はミョウバンの商売をしていましたが、銀行業で大成功を収めます。特にジョヴァンニ・ディ・ビッチの代に業績をあげ、メディチ銀行はローマやヴェネツィアへ支店網を広げました。
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メディチ家で功績を残した人物って誰?
メディチ家には、どのような人物がいたのでしょう?功績を残し人々の印象に残った人物をご紹介いたします。
ジョヴァンニ・ディ・ビッチ
ジョヴァンニ・ディ・ビッチは15世紀初めのメディチ家の当主で、ローマ教皇庁の繋がりを深めて銀行業を成功させました。メディチ銀行の創始者となった人物ですが、その始まりはローマにあったカンビオの遺した銀行の一つを出身地のフィレンツェに移したことです。
その後ローマやヴェネツィアなどに支店網を広げたり、フィレンツェの「正義の旗手」や外交大使なども歴任したりと、社会的な地位も高めたのです。
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メディチ家の家紋の意味を解説
メディチ家の紋章には「金地に赤い数個の玉」が用いられており、時代と共に赤い玉の数が減っていきました。この紋章のデザインには2つの推測があり、1つはメディチ家が銀行家であったため貨幣や両替の測りのを分銅を表現しているのではないか?という説です。
それに対し2つめの説はメディチ(medici)は医者を表すmedicoの複数形であるため、赤い球が血を吸いだすための丸いガラス玉を意味しているのではないか?という説です。
個人的には前者の方なのではないか?と思うのですが、みなさんはいかがでしょうか?
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ヨーロッパの他の貴族の家紋もチェック
メディチ家の紋章についてご紹介しましたが、せっかくなので他のヨーロッパ貴族の家紋についてもチェックしてみましょう。
ハプスブルク家の家紋
ハプスブルク家の紋章には、「双頭の鷲」が用いられています。1つの体を共有し、2つの頭が付いた鷲で少、頭には象徴的な王冠をかぶり、見渡す先はそれぞれ東西と決まっています。東はアジア、西はヨーロッパを指し、この地域に渡る統治権を表現しました。
この双頭の鷲はハプスブルク家だけではなく、東ローマ帝国や神聖ローマ帝国などヨーロッパの国々で使用されているものです。
鷲は帝国の権威の象徴として扱われており、元々頭が1つの鷲の紋章だったところ、13世紀に東ローマ帝国のパレオロゴス王朝時代に「双頭の鷲」が紋章として誕生しました。様々な種類の双頭の鷲がありますが、ハプスブルク家のものは大概黒色となっています。
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ロスチャイルド家の家紋
ロスチャイルド家は、ヨーロッパの財閥であり貴族です。現在も地球上で最も裕福であり有力である一族と言われていますが、19世紀の初め頃にドイツ系ユダヤ人の銀行家が5人の息子をヨーロッパ各地の金融の中心地に送り込んだことが始まりです。
紋章は1822年にオーストリア政府より男爵の称号と共に授けられたもので、盾の中にある5本の手は創設者であるユダヤ人の銀行家の息子たちを表しています。
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まとめ
メディチ家の歴史と紋章についてご紹介しましたが、いかがでしたでしょうか?
日本にいるとなかなかヨーロッパの歴史に触れる機会がありませんが、調べてみると日本とはまた違う文化で面白いので、是非調べてみてくださいね。家紋には日本のもののイメージがありますが、ヨーロッパにも同じような文化がありますので、奥が深いですよ。
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