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丸に隅立て四つ目紋(目結紋)について解説!由来・種類・戦国武将と有名人まとめ

   

四角を積み重ねたようなデザインが特徴の、目結紋。「めゆい」と読みます。

目結紋
 

一見すると「何なのか解らない」と思われがちなのですが、「布を糸で結び、絞った後にできる模様」というと解りやすいかもしれません。浴衣や着物によくある、あの染模様ですね。「鹿の子染」とも呼ばれています
この模様がどうして家紋として使用されるようになったのでしょうか?由来や、使用している著名人について調べてみました。

 

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目結紋の由来とは?

着物の染め方による模様からできた「目結」ですが、それがどうして家紋になったのかはよくわかっていません。

ただ、江戸時代にはこの「鹿の子染」の着物が高級品として扱われ、庶民は着ることが赦されなかったことを考えると、古くは非常に高貴なものとして扱われてきたことが解ります。

もしかすると、その贅沢さが家紋として使用される理由のひとつになったのかもしれません。鹿の子染は非常に手がかかる技法なので、誰もが簡単に手にできるものではなかったのです。

京都では、この「鹿の子染」が伝統工芸に指定されており、今でも高級品として扱われています。

いつ頃から家紋として使われていたのか?ですが、源平合戦の時にはすでにこの紋を入れた着物を着ていた人物がいたようですので、平安時代の後期には登場していたと考えてよさそうですね。

 

目結紋の種類

隅立て四つ目紋

目結を四つ組み合わせて、ひし形のような形にしたもの。

隅立て四つ目紋
わりと多く見るデザインですね。

 

平四ツ目紋

こちらは正方形に見える家紋。

平四ツ目紋
 

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丸に隅立て四つ目紋

「隅立て四つ目結紋」を、丸で囲んだもの。
丸に隅立て四つ目紋
家紋には、丸があるものとないものがあり、目結紋も同様です。丸があるかないかの違いですが、印象が違って見えますよね。

 

糸輪に結び四ツ目

上記二つの目結紋とは、大きくデザインが異なる家紋。

糸輪に結び四ツ目
言われないと目結紋とは解らないかも。家紋は、進化していくうちにもとのデザインが解らなくなることがありますが、この家紋はまさに…です。

 

隅立て十六目結紋

目結を16個つなげたものですが、ここまでくると「着物の染め物」を連想しやすくなりますね。

隅立て十六目結紋
このように、十六以上の目のものは「滋目結(しげめゆい)」と呼ばれています。

 

市松四ツ目

市松模様に、四ツ目を組み合わせたデザインのものです。

市松四ツ目
 

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目結紋まとめ

代表的な丸に隅立て四つ目紋やその他の目結紋をまとめました。

 
meyuimon (14) meyuimon (12) meyuimon (8) meyuimon (4) meyuimon (1)
 丸に平四つ目  平四つ目  丸に四つ鐶に四つ目  石持ち地抜き隅立て四つ目  重ね五つ目
meyuimon (9) meyuimon (2) meyuimon (6) meyuimon (3) meyuimon (10)
 亀甲に平四つ目  四つ目車  捻じ四つ目  抱き柏に四つ目  木瓜に四つ目
meyuimon (11) meyuimon (7) meyuimon (5) meyuimon (13) meyuimon (15)
 隅立て四つ目  陰陽繋ぎ九つ目  剣四つ目  丸に隅立て四つ目  十一割り隅立て四つ目
 

 

丸に隅立て四ツ目紋を使っている武将・有名人

尼子晴久「平四ツ目」

出雲(鳥取県)を中心に、広い勢力を築いた尼子家の当主。

尼子晴久
「尼子と言えば毛利」というくらい、毛利元就と尼子晴久には因縁があります。

というのも、毛利家はもともと尼子家と協力関係にあった時期があるのです。でも、本来毛利家の家督を継ぐはずではなかった元就が当主となった時、尼子家が反対したことから敵対関係になってしまいました。
元就は、大内家というところと仲良くするようになります。

ところが、その大内家も毛利家との「厳島の戦い」で力を失ってしまいます。このころになると、尼子家よりも毛利家の方が明らかに上の力を持つようになっており、晴久は毛利家をつぶすことよりも防戦を強いられることに。

それでも晴久は毛利に戦いを挑みますが、その途中で脳溢血により命を落としてしまいました。享年47歳。ここから、中国地方は毛利家の時代を迎えます。

 

佐々成政「隅立て四ツ目」

「さらさら越え」で有名な武将ですね。

佐々成政
織田信長の家臣の一人です。しかもエリートの部類に入るくらいの家臣でした。

「本能寺の変」で信長が死ぬと、織田家では「誰を織田家の跡継ぎにするか」を決めるために「清州会議」が開かれるのですが、ここで織田家の重臣であった柴田勝家と、羽柴秀吉が対立。

成政は、ここで勝家につくのですが、勝家は秀吉に敗北してこの世を去ります。その後、秀吉は徳川家康と織田信長の次男・織田信雄と戦い、成政は家康と信雄に味方します。

しかし、なんと家康は信雄と和睦を結んでしまうのです。ここで諦めたくなかった成政は、真冬の北アルプスを越えて家康の素へ向かい、「もう一度秀吉と戦おう」と説得しようとしました。

それでも家康が応じることはありませんでした。成政な優秀な人物だったため、秀吉も領地没収はするものの殺すことはせず、のちに別の領土をあたえるなどして厚遇するのですが、最期は切腹して果てました。享年53歳。

のちに、成政の子孫が将軍・徳川家に嫁いでいます。

 

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京極高次「平四ツ目」

織田信長の妹・お市の方と、浅井長政の間に生まれた三姉妹の次女・お初と結婚した武将です。

 

京極高次
ちなみに、浅井三姉妹は
  • 長女・茶々→豊臣秀吉の側室
  • 次女・初→京極高次の妻
  • 三女・江→徳川二代目将軍・秀忠の妻。
長女と三女をみるだけでも、この三姉妹と結婚することがどんなにすごいことか解るでしょう。なんといっても、あの織田信長の血を引く姫です。これが、高次の人生を大きく変えることになるのです。

高次が生まれる前から、京極家はずっと困窮しており、落ちぶれた状態でした。

明智光秀に妹を嫁がせ、織田家に縁を作るものの、光秀の裏切りでまた台無しになってしまいます。「もはや京極家もこれまでか」と思った時のこと、なんと秀吉が高次の妹を気に入り、側室に。そこから運が向いてきて、三姉妹の次女・お初と結婚することになったのです。

妹と妻のおかげで出世したとやっかまれた結果「蛍大名」という不名誉なあだ名をつけられてしまいましたが、高次は高次で有名な武将だったようです。

 

その他の有名人

佐々木小次郎

巌流島で、宮本武蔵と戦って敗れた佐々木小次郎。実は、存在自体ちょっと危うげなところがありますが、彼が使っていたのは「隅立て四ツ目」。

 

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佐々木只三郎

幕末の「京都見回組」を率いていた人物。
幕府傘下で攘夷浪士を捕縛していたことから、新選組のライバルとして描かれることが多いです。ただし、新選組が農民でも町人でもやる気さえあれば入れた組織であるのに対し、見回り組は武士で構成されるエリート集団でした。
坂本龍馬の暗殺にかかわっているとも言われています。

 

宮沢賢治

「銀河鉄道の夜」で有名な日本の作家。家紋は隅立て四ツ目結紋。

 

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