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板屋貝
板屋貝は帆立によく似た10cmほどの二枚貝で、山陰地方や九州の沿岸に生息する食用としても用いられる貝です。家紋には江戸時代から使用されるようになりましたが、発祥は不明とされています。貝殻が扇を広げたような形状で、放射状の線と斑点があり、そのまま家紋にも活かされています。
また、その形が兜にも似ていることから武士の家紋として用いられたり、名字に「貝」のつく藤原氏流の久貝氏などに用いられました。
板屋貝紋には、貝と兜をモチーフにした一番シンプルな板屋貝をはじめ、丸の中に貝を収めた丸に板屋貝、二葉板屋貝、円形状の二つ板屋貝や五つ板屋貝などがあります。板屋貝はシャク貝やイタラ貝とも呼ばれていました。
兎
兎は因幡白兎や月でお餅をつくお話などあり、人々に身近で親しまれている動物です。
中国では「日に金鳥あり、月に玉兎あり」という故事がありますが、これは「十五夜に餅をつくことは望月に身ごもる」という意味で、子孫が殖えることや長寿を願う意味があり、兎は瑞祥とされていました。
兎の紋も数多くの種類があり、真向かい兎、対兎、後ろ向き番兎、三つ兎、浪に月兎、月に兎などがあります。
日本では、戦国時代から使われるようになりました。使用家は関ヶ原の戦いで、東軍に従軍した清和源氏支流の三橋氏、藤原氏支流の三橋氏、寺尾氏などがあります。
馬
馬は弥生時代に朝鮮半島から運ばれて来ました。馬は軍事で重要な役割を果たすため、戦いに於いて欠かせないものとなり、各地で放牧されました。
同時に神に生きた馬を献上する古代の風習があり、祭事に馬が使われるようになりました。
その後、木で作った馬などで代用され、平安時代には絵に描いた馬を奉納するようになります。その頃から馬が家紋に用いられるようになりました。
平将門が反乱を起こした時、神から黒馬を賜ったという故事があります。その為、平将門の末裔が馬の家紋を用いています。
馬の家紋には、放れ馬、繋ぎ馬、左駆け馬、走り馬などがあります。
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蟹
蟹は古くから日本でも親しまれてきた生き物で、硬い甲羅と力強いハサミを持つことから武士の兜と重ね合わせ、武家の家紋として用いられていました。
蟹紋の種類や使用例は少ないものの、「川の蟹」と「海の蟹」の2種類が存在し、長野県、愛知県、岐阜県をメインに使用されていました。
そのまま蟹1匹を使ったシンプルなものや、糸輪という黒い丸の中に蟹を入れた糸輪に蟹などがあり、大きな甲羅と威嚇していることを表す広げたハサミで武家の強さを象徴させたと言われています。そのため、主に戦国時代に用いられていました。
使用家は紀氏流の寺沢氏や、清和源氏頼清流の屋代氏などです。
亀
亀は、「鶴は千年、亀は万年」と言われたように鶴に並ぶ長寿のシンボルの生き物として親しまれていました。平安時代に文様化されるようになり、家紋に用いられるようになったのは室町時代以降です。
亀にもいくつか種類がありますが、中でも特に縁起が良いとされ多く用いられたのは蓑亀(みのがめ)です。家紋として一番シンプルに描かれたのは光琳亀で、他に登り亀、下り亀、三つ追い亀などがあります。
風水では北方を護る玄武神として信仰されていました。
亀を使った家紋として他に「亀甲紋」があり、亀そのものではなく亀の甲羅をモチーフにした亀甲紋の方がより使用されていました。
雁金
雁金は「良い報せを運ぶ」と、縁起の良い鳥として中国で伝えられてきました。また、群れをなして飛ぶ習性があることから、雁金紋には「絆」の意味も込められています。
平安時代に文様に使われるようになり、家紋としては江戸時代頃からよく使用されるようになりました。特に武士が武具の文様に、そして家紋に用いたと言われています。
口の描き方が特徴的で、一羽で描かれる時は口を閉じていますが、二羽で描かれる場合は一羽が口を開き、もう一羽が閉じている阿吽に描かれていることが多いのです。一羽から四羽ほどの雁金で描かれた紋があり、知り結び三つ雁金や二羽飛び雁などがあります。井上氏、進藤氏、小串氏などが使用していました。
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雀
雀は、日本人にとって古くから馴染みのある鳥でした。四国や和歌山県では、雀のことを「イタクラ」とも呼び、巫女(イタコ)と同じように予言する小鳥(クラ)を意味しています。
家紋としては雀と竹や稲補を併せたものが多く、特に神奈川や東京、埼玉、京都で使用されました。武家では柳生氏が、公家では柴山家が使用しています。
雀一羽を用いた吾木香に雀、飛び三羽雀、特徴的な輪に囲まれ雀が向かい合う雪輪に向かい雀、羽を広げた飛び三羽雀、丸の中に一羽の雀が入った丸に飛び雀などがあります。このようにバリエーションは様々あるものの、家紋として用いるのは珍しかったようです。
千鳥
千鳥はチドリ科の小鳥の総称で、海岸や川、湿地など水のある場所に生息しています。鳥の数が多いことから「千鳥」と呼ばれるようになりました。
千鳥は3本指の足で海岸などの砂地を素早く歩くのが特徴です。文様として用いられるようになったのは平安時代以降で、衣服や調度品などに使用されました。
その後徳川時代頃に家紋になり、ふっくらとした可愛らしい紋です。千鳥紋には、一羽の飛ぶ千鳥を描いた「千鳥」や、五羽が輪を作る五つ千鳥、陰三つ千鳥、波に千鳥、浪輪に陰千鳥、丸に千鳥など様々な種類があります。
使用者は、山川氏、内海氏、堀越氏、浜辺氏などで、千鳥の生息地でもある水場にちなんだ名字の家に見られます。
蝶
蝶は中国から伝来し、平安時代には様々な分野で使われるようになりました。その証拠として、平家物語や源平盛衰記にも多数登場しています。
文様から徐々に家紋に用いられるようになり、平氏一族が使用したことで全国的に広まり、江戸時代には300ほどの幕臣の家紋となりました。
織田信長の代表紋は織田瓜ですが、他に揚羽蝶も使用していました。平家の出と称するのに合わせ使用したと言われています。また、平清盛流の者に多く用いられていたため、その後清盛流の代表紋にもなりました。
その他の使用者には、武家では伊勢氏、池田氏、松平長沢氏、公家では西洞院氏などがあります。
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角
角紋(つのもん)は、「鹿紋」や「鹿角紋」とも言います。同じ漢字を使用した「角紋(かくもん)」がありますが、動物紋であるつのもんとは異なり、文様紋に分類されるので区別は必要です。
神など信仰と縁が深く、奈良の春日神社のご神体が鹿であるように、鹿は神の使いであるとされてきました。家紋としては武士の兜の前立てに使用したことから、主に武家の家紋として用いられていました。
角紋には、一番シンプルな抱き角、丸に抱き角、太い丸の中に入った丸に四本抱き角、白抜きの陰抱き角、石持ち地抜き抱き角、糸輪に覗き抱き角などの種類があります。
使用者は、清和源氏の諏訪氏や近藤氏、桓武平氏良文流の君島氏などです。
鶴
「鶴は千年、亀は万年」という言葉があるように、鶴は延命長寿や子孫繁栄の意味が込められた縁起の良い鳥でした。
家紋としては江戸時代の幕臣や大名に好まれ、デザインも豊富で人気の家紋です。雄雌の鶴を用い「夫婦円満」を表したものや、羽を大きく広げた鶴の丸、飛ぶ姿を描いた飛び鶴、向かい合った向かい鶴、特殊なものでは折り紙の折り鶴をモチーフにしたものもあります。
使用者には、公家では日野家や広橋家、武家では石川氏や近江の蒲生氏、森欄丸などがあります。
蜻蛉
蜻蛉は、前にしか進まず退かないことから「勝ち虫」と呼ばれ、武士に好まれ武士の家紋や武具の文様に用いられていました。
古代、日本は「秋津島」と称されることがありましたが、これは「蜻蛉の島」という意味です。蜻蛉は豊穰の季節を象徴する虫であったことから、五穀豊穰な土地柄を示す地名として用いられました。
蜻蛉紋は武士の間ではよく使用されましたが、全体としては珍しい家紋で、板垣しや金子氏に使用されています。蜻蛉一匹から三匹をモチーフにしたものが多く、三つ蜻蛉や丸に向かい蜻蛉、中輪に三つ竹蜻蛉、違い蜻蛉などがあります。
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鳩
鳩は現在「平和の象徴」の印象がありますが、かつては八幡大菩薩の使いと信じられていました。太平記や源平盛衰記には、鳩が神の使いであったことが記されています。そして、神は武家から崇拝されていたため「勝利のシンボル」や「守り神」として扱われていました。
平安時代以降には鳩紋が軍旗に用いられることが多くなり、江戸時代には旗本の武家や大名の高力氏数十家が鳩紋を使用しました。
八幡宮は鳥居の前に二羽の鳩を置いた鳥居に向かい鳩、高力氏は鳥居の無い向かい鳩を家紋とし、他に鳩の羽で円型を描いた鳩の丸、石の上に鳩が乗った石畳に鳩、華やかな抱き寓生に向かい鳩など、バリエーションにも富んでいます。
鳳凰
鳳凰は伝説上の瑞鳥で、中国では全ての鳥類の長であるとされていました、仏教の伝来と共に日本にも広がり、飛鳥・白鳳文化で文様として人気が出ます。
文様としては多く用いられたものの想像上の動物が家紋に使用されるのは珍しく、使用例は多くありません。鳳凰には后の象徴という意味が込められていたようです。
鳳凰紋は一羽の鳳凰が大きく羽を広げたモチーフのものが多く、新見藩の関氏は羽で円型を描いた鳳凰の丸を使用していました。家紋として用いられた例は少ないものの、舞い鳳凰の丸、変わり鳳凰の丸、白鳳の丸、乱れ桐に鳳凰などの種類があり、田中氏や近藤氏も使用していました。
龍
龍は全ての生き物の祖と言われ、空想上の生き物でありながら古代から神獣として崇められてきました。
中国の歴史書である「史記」には、漢の高祖である劉邦の誕生時に龍が出現したと書かれており、中国皇帝のシンボルでもありました。
龍の中にも5段階の階級があるのですが、紋として使用されたのは最上級の「龍」と、最下級で翼を持たず飛べない「璃龍」です。中級の龍は文様や家紋としてら用いられませんでした。
日本でも龍は力強く、皇帝を表すものとして武家に好まれ、瑞祥的な意味を持っていました。樫村清徳は「細輪に龍の子」を、瀬木博尚は「雨龍に丸」を使用し、他には三田井氏、緒方氏、立見氏、神代氏、大塚氏などが使用者です。
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