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1982年11月14日浜松基地航空祭での墜落事故
松島基地によると、2機はT4型機と呼ばれる練習機。別の2機と一緒に航空ショーの訓練のための編隊飛行中、先頭を飛ぶはずの1番機の機首部分と、1番機の左後ろを飛ぶはずの2番機の左後方部分が接触した。
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時速700~800キロだったとみられる。(朝日新聞デジタル「ブルーインパルス同士が空中接触、緊急着陸 宮城沖」2014/1/29 19:58)
ブルーインパルスは合わせて4機が編隊を組み、洋上で訓練していましたが、
このうち2機が接触したということで、1機は機首がへこみ、
もう1機は左の水平尾翼が壊れたということです。(NHKニュース「ブルーインパルス2機接触し緊急着陸」2013/1/29 16:44)
1982年ブルーインパルス史上で初となる展示飛行中の事故が発生
11月14日に行われた浜松基地航空祭での展示飛行において「下向き空中開花」という演技を行っていた。
4機が編隊を組んで洋上で訓練していたが、うち2機が接触し、1機は機首が凹み、もう1機は左の水平尾翼が壊れた。
乗っていたパイロットは殉職、民間でも負傷者が出たため、夕方以降の報道で大きく流されることとなった
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墜落事故の原因って何だったの?
リーダーの「ブレーク、レディ…」に続く「ナウ!」のコールが一瞬遅れたこと(約0.4秒)とループの頂点がいつもより低くなってしまった事が主な原因のようだ。
4番機が下向き空中開花の演技で他の機体とは違うブレイク指示で180度ロール後逆方向に機体を引き起こすという動作が
必要だったが、指示タイミングが遅くなり間に合わなかった模様。
僅かな遅れでも引き起こす余裕が無い。
すでに降下姿勢だったので、降下によって速度が付き始めているので、
ほんの約0.4秒の遅れでさえ命取りになってしまう
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墜落事故のその後の調査で
当初は事故調査に対して非協力的だったパイロット。恐ろしい現実を伝えるのはとても困難だったと思える。
静岡地方検察庁の杉本一重からの「0.9秒の遅れがどのようなものかが分からないと公訴事案とするかの判断が出来ない」との考えに
アクロバット飛行訓練に体験搭乗したパイロットたちは一転、調査に協力的になったようだ。
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