「星」を使用した紋は「星紋」や「九曜紋」と呼ばれ、特に武将から好まれていました。様々な種類があり、また様々な戦国武将に家紋として用いられていたのです。
今回は、「星紋/九曜紋」の由来・意味・種類や、使用していた戦国武将についてご紹介いたします。
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目次
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星紋/九曜紋の意味・由来とは?
読み方 | ほしもん/くようもん |
家紋の分類 | 自然紋 |
>>家紋辞典で他の家紋もチェック<< |
星は、運命を司るものとして信仰されてきました。決まった軌道で移動するため、狩猟や航海の際には位置がわかるものとして、農業では季節がわかるものとして古くから人々に活用されてきました。
星は文様として扱われるようになり、やがて家紋にも用いられるようになりました。
星といえば★型が現代では一般的ですが、当時の星模様は●で表されます。一つではなく複数の●で構成されたものが主流でした。
武家の使用者として代表的なのは千葉氏で、「月星紋」を使用していました。星紋は全国的に広まって庶民の間でも用いられたそうです。
また、「三つ星=勝ち星」を表し、戦いに挑む武家の間でも人気の紋となっていました。
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星紋/九曜紋の種類いろいろまとめて解説
では、星紋/九曜紋にはどのような種類があるのか、いくつかのタイプ別にご紹介いたします。
星が七つで七曜紋
七つ星 |
丸に七つ星 |
亀甲に七つ星 |
割り七曜 |
星紋は基本的に星を「●」で表現します。真ん中に大きな●を1つ、周りに小さな●を6つ並べたものは「七曜紋」といい、輪紋や亀甲で囲んだ「丸に七つ星」「亀甲に七つ星」や、円形にくり抜いたデザインの「割り七曜」などがあります。
星が九つで九曜紋
九曜紋 |
九曜菊 |
雪輪に九曜 |
菊輪に九曜 |
七曜紋と同じデザインで9つの●を並べたものは「九曜紋」と言い、星の数は増えますがアレンジも豊富にあります。
「九曜菊」は●を全て菊に置き換えたもので、菊を輪にした「菊輪に九曜」という紋もあります。
また、輪紋の一つである雪輪の中に入れた「雪輪に九曜」などバリエーションは様々です。
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一文字三星
毛利三つ星 |
長門三つ星 |
陰長門三つ星 |
丸に長門三つ星 |
「七曜紋」や「九曜紋」とは異なるデザインに、「一文字三星」というものがあります。
これは漢字の「一」のしたに3つの星を描いたもので、「毛利三つ星」は毛利家が使用したもの、「長門三つ星」は長門家が使用したものです。
また、これをアレンジした「陰長門三つ星」や「丸に長門三つ星」などの種類もあります。
文字のみを使用する家紋は「文字紋」と言いますが、こちらは星紋に分類されるものです。
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九曜巴紋(九曜+巴)
九曜巴 |
最後は巴紋を九曜星のように並べた「九曜巴紋」です。巴とは元々弓を弾く際に腕を保護するための武具で、それが後に渦を巻く文様として浸透しました。
九曜巴は武将である宮本武蔵が使用していた家紋です。宮本武蔵に関しては、記事の後半で紹介していますので後ほど見てみてくださいね。
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星紋/九曜紋を使った武将が多いのは何故?
星紋や九曜紋は、特に武将に家紋として用いられていました。どんな武将が使用していたのかは次でご紹介しますが、星紋/九曜紋が好まれたのには理由があります。
冒頭でも少しお話しましたが、「三つ星」は「勝ち星」を意味します。戦いと隣り合わせで生きていた武将たちにとって、このような戦いに関する縁起の良さは家紋として好まれる傾向がありました。
そのため星をモチーフとした星紋/九曜紋が武将たちの間で人気だったのです。
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星紋/九曜紋を使った戦国武将
では、実際にどのような人物がこの紋を使用していたのか、見てみましょう。8人の武将についてそれぞれ別の記事にまとめていますので、合わせてチェックしてみましょう。
8つの家紋を使った伊達政宗の家紋「九曜」
伊達政宗の家紋の由来を画像付きで解説!8つの家紋使い分けた意味とは?伊達政宗はなんと8つの家紋を使用していたそうなのですが、その中に「九曜紋」があります。伊達政宗が使用していた羽織にも、星紋を表す「●」がありました。
また、伊達政宗が使用したと言われる他の家紋には、このような種類があります。
五七桐紋 | 牡丹紋 |
雪薄紋 |
竹に雀 |
8つもの家紋を使いこなすのはなかなか大変そうですが、歴史的出来事も関連していたようです。詳しくは伊達政宗について詳しく紹介している上記記事を見てみましょう!
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石田三成の家紋「九曜」
石田三成の家紋の由来を画像付きで解説!大一大万大吉は旗印、九曜紋、下り藤が家紋伊達政宗が使用した「九曜紋」は、石田三成にも用いられていました。また、三成は家紋ではなく「旗印」として、こちらも使用していました。
旗印は戦いに持っていく旗に独自の文様を付けたもので、家紋と同じ紋を使用する者もいれば、旗印は別のものを使用する者もいました。
毛利輝元の家紋「一文字三星」
毛利輝元家紋「一文字三星」について|関ケ原で西軍の総大将だった戦国武将関ヶ原の戦いで西軍の総大将であった毛利輝元は、「一文字三星」を使用していました。
平安時代に生きた阿部親王という人物が亡くなった後に、一番高いと言われていた品位「一品」をもらったことから、この家紋が生まれたと言われています。
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毛利元就の家紋「一文字三星」
毛利元就の家紋を画像付きで解説!長門沢瀉、五七桐も替紋で使った戦国武将「一文字三星」は毛利家の家紋となっていたため、毛利元就も同じ紋を使用していました。
また、正親町天皇から陸奥守に任ぜられたときに下賜されたと言われる「五七桐紋」使用していた他、替紋には「長門沢瀉(ながとおもだか)紋」を使用していたと言います。
五七桐紋 | 長門沢瀉紋 |
九鬼嘉隆の家紋「七曜」
海賊大名・九鬼嘉隆の家紋「七曜紋」について|信長のもとで鉄の船を作り上げた武将織田信長のもとで鉄船を作り上げた武将、九鬼嘉隆は「七曜紋」を使用していました。
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細川忠興の家紋「九曜」
細川忠興の家紋の由来を解説!明智光秀の娘・ガラシャとの結婚で有名な戦国武将明智光秀の娘と結婚したことで有名な細川忠興は、「九曜紋」を使用していました。これは結婚した際に信長から下賜されたもので、よほど信長が忠興を気に入っていたことがわかります。
宮本武蔵の家紋「九曜巴」
宮本武蔵の家紋「九曜巴」と生涯|巌流島で佐々木小次郎を破った剣客宮本武蔵は、細かく描かれた「九曜巴」を使用していました。巴は元々弓を弾く際に腕を保護するための武具で、それが後に渦を巻く文様として浸透したものです。
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まとめ
「星紋/九曜紋」とそれを使用した戦国武将についてご紹介しましたが、いかがでしたでしょうか?
この紋は特に武将に好まれたものでした。三つ星は勝ち星であることから来ており、当時武将がどれほど戦いに意気込みをかけていたかがわかります。
それぞれの武将について別途記事でご紹介していますので、是非あわせてチェックしてみてくださいね。
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