【江戸幕府300藩】沼田藩の家紋は土岐家の「桔梗」|一度廃藩となるも土岐家によって支配された

みなさんは「桔梗紋」という家紋の種類をご存知ですか?花の桔梗をモチーフにしたもので、土岐家の代表的な家紋です。その土岐家が長年にわたり支配していた「沼田藩」という藩があります。

今回は、「沼田藩」の歴代藩主やその歴史・使用家紋などについてご紹介いたします。

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沼田藩ってどんな藩だったの?

沼田藩の基礎情報

石高 3万5,000石
旧国 上野(群馬県)
居城 沼田城(沼田市)
藩主 真田家~土岐家の4家
家紋名 桔梗
江戸城控間 帝鑑間
城主
爵位 子爵

沼田藩の歴代藩主4家

真田家▶︎本多家▶︎黒田家▶︎土岐家

沼田藩は4つの家によって支配されていました。

沼田藩の藩主の変移

  • 初代藩主……真田信利 
  • 最後の藩主…土岐頼知

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12代の土岐家が支配した沼田藩

沼田藩は、上野国利根部(現在の群馬県沼田市西倉内町)に存在し、藩庁を沼田城に置いていました。一度は廃藩となるも再度立藩し、その後は12代にわたり土岐家が支配し続けました。

真田家による沼田藩の立藩

沼田藩の正式な立藩は、真田家の真田信利により1656年とされています。しかし実際のところ、関ヶ原の戦いにおいて東軍に与した真田昌幸の子・信之が、関ヶ原処分に際して当地に9万5,000石を与えられる形で上田藩を事実上の立藩した際に、その一部として成立した藩とされています。

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真田家改易と天領そして再立藩

真田信之は領内の検地を行い、藩の支配体制を早い段階から進めました。その後5代にわたり沼田藩は真田家が支配しますが改易となり、領地は一度天領となりました。

真田家の時代に廃藩となった沼田藩ですが、下総国舟戸藩から本多家が入封したことにより再度立藩します。しかし3代目になると転封となり、次に黒田家が藩主となります。しかしこちらも2代で転封となり、最終的に土岐家が入封し、12代にわたり維新まで支配し続けることとなります。

12代続いた土岐家の沼田藩支配

藩主・土岐家の初代は、老中・土岐頼稔が駿河田中藩から入封したことにより始まります。3代目の土岐定経の時代には年貢増徴に反対した領民によって「見取騒動」が勃発しますが、領民の意見を受け入れることで解決しました。

その後は安定的に沼田藩を支配し、そのまま明治維新を迎えます。廃藩置県により沼田藩は廃藩、沼田県を経て群馬県となったのでした。

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沼田藩の家紋は土岐家の「桔梗」

桔梗は、徳川時代に大名家や幕臣の多くが用いた家紋です。桔梗は秋の七草でもある花を咲かせる多年草で、家紋は全て5つの花弁が描かれています。 桔梗家紋は15種類以上もあり、中でも明智光秀は特定の水色で彩色することが定められた桔梗の家紋を使用していました。その家紋の旗を立て本能寺で信長を襲い自害に追い込みました。それゆえ桔梗の家紋には「裏切り者のイメージ」が付き、武士の中には家紋を変更した者もいました。 また、桔梗は清和源氏や土岐氏代表紋でもあります。鎌倉幕府御家人でもある土岐光衝は戦いの陣内で野に咲く水色の桔梗を見つけ、兜に付けたところ対勝利を得たことから縁起の良い花として好み、家紋に用いました。

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まとめ

沼田藩」の歴史についてご紹介しましたが、いかがでしたでしょうか?一度は天領となるも再度立藩し、その後は土岐家によって安定的に維新まで支配された藩でした。

土岐家の家紋は有名な「桔梗紋」で、豊臣秀吉も用いていたものなので是非詳細時記もチェックしてみてくださいね。

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